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『鎌倉殿の13人』源頼朝の部下は平氏ばかり?…土着化した平氏、殺し合ってばかりの源氏

文=菊地浩之(経営史学者・系図研究家)
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『鎌倉殿の13人』源頼朝の部下は平氏ばかり?…土着化した平氏、殺し合ってばかりの源氏の画像1
いわゆる“源平合戦”として知られる、平安時代末期の治承・寿永の乱。しかし、「源頼朝率いる源氏vs平清盛率いる平氏」という単純な構図で起こったものではないようだ。(上手は室町時代の絵師・狩野元信 による『源平合戦図屏風』より【赤間神宮所蔵、Wikipediaより】)

北条、土肥、大庭、梶原、上総、千葉、畠山…源頼朝の部下は平氏ばかり

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の第4回(1月30日放送)で、源頼朝(演:大泉洋)が挙兵する。

 ★北条時政・義時父子(演:坂東彌十郎、小栗旬)、★土肥実平(演:阿南健治)等数十の兵を率いて、目代(もくだい)の★山木兼隆(演:木原勝利)の館を奇襲して勝利するが、★大庭景親(演:國村隼)率いる3000の兵と石橋山で合戦に及び、敗退する。大庭配下の★梶原景時(演:中村獅童)は落ち武者狩りを命ぜられ、頼朝を見つけるが見逃す。

 酒匂川(さかわがわ)の氾濫で合戦に間に合わなかった★三浦義澄(演:佐藤B作)の兵が、頼朝軍に合流。態勢を立て直すために、安房に渡って北上し、★上総介広常(演:佐藤浩市)、★千葉常胤(演:岡本信人)を味方に引き入れる。大庭についていた★畠山重忠(演:中川大志)も降伏してきた。石橋山の敗戦からわずか1カ月半で、頼朝軍は3万の大軍に膨れあがり、鎌倉に入った。

 上で名前に★を付けた面々は、先祖をたどれば平氏に行き着く。わりと有名な話なのだが、頼朝の家来はほとんどが平氏なのだ。源平合戦の実態は、“平平合戦”だったのだ。

桓武天皇の血を引きながら、関東で土着化していった平氏…時代が下ると地方豪族へと変化

 なぜ、関東の有力豪族は平氏ばかりなのか。

 ことの発端は、平家の祖・平高望(たいらのたかもち/桓武天皇の曾孫で、9世紀末から10世紀初頭に活躍)が上総介(現在でいえば千葉県副知事といった地位)に任じられたことに発する。関東に下ったこの御仁は、天皇の曾孫という高貴な血筋なのでたちまち現地の有力者となり、任期が過ぎてもそのまま土着して、子どもたちは関東に住み着いた。

 あの平将門(たいらのまさかど/903~940年)は、この平高望の孫である。将門は追討されたが、その親族の子孫は関東各地に散らばって栄えた。俗に「坂東八平氏」といって、具体的には千葉、上総、三浦、土肥(どひ)、秩父、大庭(おおば)、梶原、長尾の8氏を指す。このうち、長尾氏を除く7氏が『鎌倉殿の13人』に登場している(畠山重忠が秩父の嫡流)。

 上総介広常には名前に「介」の字が付いているが、実は千葉や三浦も千葉介・三浦介と名乗っている。この「介」というのは、地方役所の生え抜きトップ――たとえていうなら、千葉県庁の助役、副知事みたいなもの――を表すものだと考えてもらえばいい。

藤原摂関家の“用心棒”だった源氏は、中央政界から地方へ派遣された知事のようなもの

 これに対し、源氏は京都の藤原摂関家の用心棒のようになり、国司を歴任していた。坂東八平氏の先祖が地方役所の生え抜きトップなら、源氏は中央政界から派遣される知事みたいなもんである(現代では知事は選挙によって選ばれるが、戦前でも任官制だった)。上下関係は圧倒的に源氏のほうが上である。そして、源氏が関東・東北の乱を平定していく過程で、坂東八平氏はその家臣となっていく。

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桓武天皇(第50代、在位は781【天応元】年から806【延暦25】)を祖とする“桓武平氏”の系図。なかには関東で土着化し、源氏の家来となっていく者も。北条も畠山も千葉も三浦も、みんな平氏ってホント?

 上総介広常の先祖・平忠常(10世紀中盤〜1031年)が反乱を起こすと、その鎮圧に向かったのは、頼朝の先祖・源頼信だった。実はこの時、平忠常はすでに源頼信の子分になっていたという。頼信が出馬すると、忠常はたちまち降伏。頼信は迅速に乱を平定し、忠常には特段の処罰を加えないという寛大な措置を施し、名声を得た。

 源義家が後三年の役(1083〜1087年)を戦った時、その部下に三浦平太郎為継(みうら・へいたろう・ためつぐ)と鎌倉権五郎景正(かまくら・ごんごろう・かげまさ)がいた。為継(為次)は三浦氏の先祖、景正(景政)は大庭・梶原・長尾氏の先祖だといわれている。

 その後、大庭一族は平家になびいたが、三浦一族は代々源氏に仕えていたようだ。

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関東周辺で土着化していった平氏の一門。彼らの名前は、そのまま地名として現代に残る。

坂東八平氏は本当に平氏なのか?…怪しい系図に“200歳差の従兄弟”が存在

 ただ、本当にみんながみんな平氏の子孫だったのかは怪しい。

 室町時代に編纂された『尊卑分脈』(そんぴぶんみゃく)という系図集がある。比較的信憑性の高い系図なのだが、それによると三浦義澄(1127~1200年)は将門の叔父・平良文(たいらのよしふみ)の子ども、つまり将門の従兄弟になっている。

 上記の通り将門は903年生まれである。224歳も歳が離れた従兄弟なんているはずがない! そう思ってよくよく見てみると、三浦義澄がもう1カ所掲載されていて、今度は将門の叔父・平良茂(たいらのよししげ)の子孫となっている。

 ただし、三浦一族を平良茂の子孫としているのは『尊卑分脈』だけで、ほかに伝わっている系図ではやっぱり平良文の子孫とするものが多い。そもそも複数のパターンが伝わっていること自体、かなり怪しい系図といわざるを得ない。

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室町時代に編纂された『尊卑分脈』では、三浦義澄は将門の叔父である平良文の子ども? あるいは同じく将門の叔父・平良茂の子孫? 他系図を見ると平良文の子孫の子孫とされている場合が多く……うーん、怪しい……。

「源氏の嫡流」となるため骨肉の争い…殺し合い、マウントを取ってきた源氏一族

 坂東八平氏は源氏に仕え、源平合戦の原動力になった。では、源氏一族内部はどうなっていたかというと、とにかく骨肉の争いである。殺しまではしなくても、マウントを取ることは忘れない。

 頼朝が従兄弟の木曽義仲(演:青木崇高)、異母弟・源義経(演:菅田将暉)を討ったことは有名であるが、それのみならず、異母弟・源範頼(演:迫田孝也)を伊豆に配流し、一説には殺害したといわれている。

 さらに甲斐源氏・武田信義(演:八嶋智人)の長男・一条忠頼を謀殺、次男・板垣兼信を隠岐島に配流し、末男・石和(いさわ)信光を取り立てている。兄弟を離間して勢力を削いだのだ。

 また常陸源氏・佐竹秀義が頼朝と同じ「源氏の白旗」を掲げてくると、扇を渡して旗の文様にするように指示(以来、佐竹氏の家紋は扇紋となった)。

 父の従兄弟・新田義重が中立の立場を取ろうとすると、源平合戦後に冷遇。唯一、厚遇したのは、母の縁者である足利義康・義兼父子のみという徹底ぶりである。

「源氏の棟梁は源頼朝」は自明ではない…「邪魔者は殺せ」でやってきた“源氏の流儀”

 なぜ骨肉の争いを繰り広げるのか。

 結論をいってしまうと、「誰が源氏の棟梁なのか」が決まっていなかったから。頼朝は「源氏の棟梁」として担ぎ上げられているので、ほかに「源氏の棟梁」がいてはまずい。頼朝はよく「源氏の嫡流(=棟梁)」といわれるが、それは頼朝が一族間の闘争に勝ち残ったから。つまり、闘争している間は、頼朝もまたOne of themに過ぎなかったのである。

 武家社会は長子単独相続で、本家(嫡流)と分家(支流、傍流)が決まっていたはず――というのは、室町時代以降の話で、鎌倉時代までは分割相続が一般的だった(分割相続が進みすぎて、ひとりあたりの所領が零細化し、武士がみんな貧乏になっちゃったから、その反省から長子単独相続というシステムが生まれたのである)。

 確かに、頼朝は河内源氏(つまり源頼義の子孫)としては嫡流といえなくもないのだが、その祖・源頼信は源満仲(みつなか)の三男である。それを源氏の嫡流と言っていいものなのか。

 そしてその理屈が通るなら、源頼義の三男・源義光の子孫が「源氏の嫡流を名乗ってもいいじゃん!」ということになる。実際、義光の子孫・武田信義は『鎌倉殿の13人』のなかで、「源氏の棟梁」を自称している。

 こうなると、「邪魔者は消せ」。もしくは、殺さないまでも勢力を削いでマウントを取るしかない。そして、頼朝が死去すると、今度は坂東八平氏と北条氏(自称平氏)の間で骨肉の争いが始まるのである。これこそ、“平平合戦”と呼ぶべきかもしれない。

(文=菊地浩之)

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清和天皇(第56代、在位は858【天安2】年から858【貞観18】年)を祖とする清和源氏の系図。初の武家政権を打ち立てた頼朝ほか、足利、山名、細川、佐竹ほか多くの“武家の名門”へと繋がっていく。

菊地浩之

菊地浩之

1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)、『日本のエリート家系 100家の系図を繋げてみました』(パブリック・ブレイン、2021年)など多数。

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