
国会議員秘書歴20年以上の神澤志万です。
7月8日の安倍晋三元首相射殺事件の衝撃から、まだ立ち直れないでいます。永田町の住人は、みんなそうだと思います。安倍元首相は、私たち秘書にもいつも気軽に「ありがとう」と声をかけてくださるなど、本当に育ちの良さがわかるお人柄でした。
永田町は上下関係が厳しく、男尊女卑もハンパないので、秘書を人間扱いしない議員も少なくありませんから、安倍元首相のような方はとても珍しいのです。永田町だけでなく、霞が関の職員たちの間でもとても人気がありました。心よりご冥福をお祈りいたします。
自民党重鎮の事務所も大混乱
「あの日」は参議院議員選挙期間中だったので、議員会館の中は陳情客もなく、とても静かでした。午前11時30分を過ぎた頃だったと思います。廊下から誰かの悲鳴のような「ええー!」という声が聞こえました。
「うそ! 安倍さんが撃たれたって!」
そんな声も聞こえました。
え? 撃たれた?
驚いてテレビをつけると、数分後に速報のテロップが出ました。インターネットのニュースの方が、少し早かったようです。「銃撃」という言葉になじみがなく、何度も瞬きして見直してしまいました。しかも、「心肺停止状態」とありました。
嘘であってほしいと思いましたが、テレビでは現場の映像が繰り返し流されています。あまりにもショックで、秘書たちと顔を見合わせるだけで、言葉も出ませんでした。
すぐに各党が選挙活動停止の指示を出したので、秘書たちは集会中止などの連絡に追われながら、ひたすら奇跡が起こることを祈りました。自民党の重鎮の事務所の秘書に様子を聞くと、「何がなんだか、わかんねーよ」と困惑していました。あちこちから問い合わせが殺到したそうです。「こっちに聞くより報道の方が早いよ」と、悲しみよりも、ただただ驚いているようでした。
細川元首相もホテルで銃撃
それからしばらくは茫然としてしまい、いろいろ手につきませんでしたが、マスコミは警備の不備や犯人のプロフィール、旧統一教会との関係などをどんどん報道していきました。今もそうですね。
少し冷静になってくると、やはり警備の甘さが気になりました。政治家襲撃は過去にもたくさんありましたから、本来なら万全の警護体制が求められます。
たとえば、1994年には東京・新宿のホテルで新党結成のパーティーに出席していた細川護煕元首相が元右翼の男に銃撃されていますが、けが人は出ませんでした。細川元首相が大勢の警備に守られていたため、直接狙えないと思った犯人は天井に向けて発砲しています。瞬時に4人のSPが細川元首相を抱えるようにしてホテルから脱出、車に乗せました。もちろん、犯人はその場で逮捕。あっという間の出来事でした。
この事件現場に居合わせた先輩秘書は、今回の安倍元首相の銃撃について「あり得ない」と言っていました。首相経験者の場合、通常はSPは1人ですが、大勢の前で演説する場合は2人から4人くらいに増やすのが当然、と神澤も思っていました。
『国会女子の忖度日記:議員秘書は、今日もイバラの道をゆく』 あの自民党女性議員の「このハゲーーッ!!」どころじゃない。ブラック企業も驚く労働環境にいる国会議員秘書の叫びを聞いて下さい。議員の傲慢、セクハラ、後援者の仰天陳情、議員のスキャンダル潰し、命懸けの選挙の裏、お局秘書のイジメ……知られざる仕事内容から苦境の数々まで20年以上永田町で働く現役女性政策秘書が書きました。人間関係の厳戒地帯で生き抜いてきた処世術は一般にも使えるはず。全編4コマまんが付き、辛さがよくわかります。
