BMWの巨大グリル問題に思う、自動車メディアのあるべき姿とは?
最近、派手になるばかりのBMW車の顔つきをめぐって、自動車評論というものについて少しだけ思うことがあった。
BMW車の伝統であるキドニーグリルについては、現在のデザイン責任者の就任以降、まず左右に分かれていたものが一体化され、シリーズによる程度の違いこそあるけれど、全体が次第に大型化されつつある。
とくに、2019年にマイナーチェンジ版が国内導入された7シリーズでは実に40%も拡大、さらに同年のフランクフルト・モーターショーで発表された4シリーズのコンセプトカーでは、より劇的な巨大化でファンを驚かせた。
おもしろいのは、「このデカさはどうなの?」とグリルが話題の中心になる一方で、しかしこれが正面から評論されることはほとんどなく、語られることがあったとしても「思っていたより気にならない」といった程度にとどまっているところだ。
そうしたなか、今年の1月26日よりBMW M社のハイパフォーマンスモデルである「M3」「M4」シリーズが日本に導入され、この原稿を執筆中の5月中旬、各自動車雑誌ではその高性能ぶりに絶賛の文章が踊っている。
では、この巨大なグリルについては? と思っていたところ、ある自動車雑誌で興味深い記事があった。当誌では特集としてM2~M5のシリーズ4台が大きく取り上げられており、各々詳細なインプレッション記事が書かれている。
このうち、日本人ジャーナリストにより書かれた3台は例によってグリルに関する記載はなく、ひたすら走りの性能だけが書かれているのだが、唯一、イギリス在住の外国人ジャーナリストによって書かれたM3だけは違っていたのだ。
その高性能ぶりはしっかり書かれている一方で、巨大グリルについては「ビーバーの前歯のよう」とし、全体のデザインも煩雑と、スタイルについてもちゃんと言及している。さらに、全方位的に高性能化したことで、かつてのMのドライブフィールが失われつつある、とも。
この記事を読んで感じたのは、とにかく内容がフェアでフラットであること。書かれるべきことが、ごく普通に書いてある。だから、読んでいていろいろなことがストンと腑に落ち、ストレスがないのだ。
つまり、「ビーバーの前歯」は特段悪意を持って書かれたのではなく、このフロントフェイスを見れば普通にそう感じるのであって、それをそのまま表現したにすぎない。しかし、そもそも話題になっている案件なワケだから、読者的にも納得感がある。
読者に信頼される正直でフェアな記事
では、忖度のないこの記事が新しいM3の販売に悪影響を与えるのかといえば、たぶんそうはならないだろう。スタイリングには個人の好き嫌いが入り込める余地があるわけで、気にならない人はスルーするだけだ。
ドライブフィールに関しても、ある種の感覚が失われるのは、その分別の機能や性能が大きく進化していることを示しているのであって、これもまた販売の障害にはならないはずだ。正直に書かれた文章にはそういう包容力がある。
逆に、話題になっているにもかかわらず、そのことに一切触れていない他の3人の記事には不自然さを感じてしまう。向上した性能のことだけで必死に誌面を埋めようとしているのが透けて見えるのだ。
先日、普通の主婦が自費で始めた白物家電の性能比較ブログが、その公平で厳しいテスト内容ゆえ評判になり、ついにはメーカー自身からテストの依頼が来るようになったという話をテレビで観た。番組内の街頭インタビューでは、若者ですらウェブなどで見かける提灯記事を疑問視し、こうした素人の率直なリポートのほうが信じられると答えていた。
当たり前だけど、ユーザーも読者もお手盛り記事をそのまま信じるほどバカじゃないのである。それより、厳しくともフェアな記事のほうが信頼され、最終的には評価される。それは同時に商品開発にもいい影響を与え、好循環が生まれる。雑誌を含め、多くの自動車メディアはなぜかそこに気づかない。
そうそう、件のBMWの巨大グリルについてだけど、僕もあまり賛成はできない。大き過ぎてバランスが悪いこともあるけれど、それよりも、フロントフェイスばかりで個性を出そうという発想がカーデザインとして疑問だからである。
(文=すぎもと たかよし/サラリーマン自動車ライター)