トヨタ現行クラウン“失速の本質”…SUV化の前に過度なスポーティデザインの見直しを
「次期クラウンはSUVになる」。11月11日に、トヨタ自動車のお膝元である愛知県の中日新聞が報じた記事が話題になっている。正確には、SUVに似た新型車として2022年に投入する方向で最終調整に入った、という内容だ。
お察しの通り、セダン不況による販売の低迷に対し、ついにクラウンもこのままでは立ち行かなくなったという論調である。確かに、15代目の現行モデルは、デビューした2018年度こそ5万304台(自販連調べ)を売ったものの、翌19年度には3万6249台に急落し、早くも月間販売目標の4500台を大きく下回った。20年度はコロナ禍のため単純な比較はできないが、上半期で8691台と月平均は1500台程度にとどまっている。
読者の方々はご存じかと思うが、現行モデルは顧客の若返りを図るべく、従来の正統派セダンから6ライトのクーペ風シルエットへ大きく舵を切った。リアピラーに輝くクラウンのエンブレムを外してまで挑んだ大胆な変身だ。
このニュースに関する業界記事で目立つのは、基本的に現行型支持の方向だ。即ち、ここ数代のクラウンはモデルチェンジ末期には年間3万台程度まで落ち込むのが常であり、いきなり売れなくなったわけではない。よって、現行モデルは決して失敗作とはいえないというもの。そこへ、次期がSUVになるなら期待したいという応援歌も付加される。
さて、それはどうだろうか?
何しろ、現行モデルは流行のクーペセダンスタイルを導入し、あえて「巻き返し」を図った企画なのである。従来の延長線上ならともかく、販売増を掲げ、クラウンの歴史を変えるべく送り込まれた一発逆転狙いなわけで、それが従来に準じた販売成績なら間違いなく「失敗作」なはずだろう。
目立ち度優先の子供っぽいデザイン
で、今回の問題はその失敗の中身なのである。まず、今のトヨタ社長が頻繁に口にする「ワオ!」なクルマづくり。べつに感動を持っていいクルマをつくること自体は悪いことじゃないけれど、それが妙なスポーティ路線に偏重しているのが気になるのである。
クルマにとっての「スポーティ」には実に幅広い解釈があるはずだけど、レース好きの社長さんは、汗をかき、リアタイヤを流して激走するような、非常に狭い意味でのスポーティさばかりを掲げている気がする。
その代表的な例が「GR」シリーズで、コンパクトでもミニバンでも次々に走りのイメージを加え、あのセンチュリーにさえ設定してしまう感覚が、そのまま現行クラウンの企画にも反映されたように思えるのだ。
さらに、それを後押しするのが昨今の迷走するトヨタデザイン。大口を開けたフロントフェイスは確かに目立つけれど品がないし、クーペ風のキャビンは細部の詰めが甘く、たとえばアウディのようなキレや気品に欠ける。リアはスマートさを狙っているようだけど、実際にはひとつ下のクラスのような安っぽさだ。
つまり、走りに偏重した発想と、目立ち度優先の子供っぽいデザインによる現行型は、決してクラウンという伝統のブランドを正確に量れるクルマとは言えないのではないか? それは、たとえば現行のプリウスがよりわかりやすい例だろう。TNGAなる新しいシャシー思想での高い走行性能と、最新のトヨタデザインの組み合わせの「結果」は皆さんも周知のところだ。
セダン不況であり、市場はSUVで溢れているのは事実として、だから個人的には一度“ちゃんとしたセダン”を作ってからSUVへの移行を考えてほしいと思う。たとえば12代目の「ゼロクラウン」は、スポーティでありながら端正さや品格も持ち合わせ、前後のモデルをはるかに超える販売成績を残したではないか。
要は、年輩者向けとか若者狙いとか、そんな小細工をしなくても、本当にいいものをつくれば多くのユーザーに理解されるのである。もちろんGRシリーズなんてなくても大丈夫だし、全身をピンク色に塗る必要もない。それからでもセダン離脱は遅くないと思うのである。
(文=すぎもと たかよし/サラリーマン自動車ライター)