自動車業界では1ドル=98円前後まで円安に振れたことなどを受け、急速に業績回復が進んでいる。社会的に賃上げムードが醸成されつつあることで、来春の賃金交渉では従業員の収入増につながるような経営判断も期待できそうだ。ただ、問題は賃金増のかたちを基本給(ベース)部分を引き上げるベースアップ(ベア)にするか、一時金の積み増しにするかだ。自動車業界には「政府が演出する賃上げムードに踊らされてベアを実行するようなことになれば、業界全体があとで痛い目を見る」との主張も根強い。
来春、自動車産業の雇用、労働環境の改善交渉をまとめ上げる労働組合・全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連)が賃金改善分(ベアに相当)の統一要求に踏み切れば、自動車メーカー各社の労組は5年ぶりにベア要求を行うことになる。また、部品メーカーや販売会社の労組も、自動車メーカーに倣うかたちになるだろう。
要求内容は冬場にかけて検討作業が本格化するが、組合の幹部は「昨年に比べれば、経営環境は間違いなく好転している。今年がベアの統一要求を行うのに適切な時期かどうかも議論があるのではないか」(全トヨタ労連)と賃金改善分を要求することも選択肢に入れている。安倍政権を支えようという財界の思惑も相まって、来春の賃金交渉はベアを主体としたものになろうとしている。
●部品メーカーからは冷ややかな声も
ただ、自動車メーカーの下請けとなる部品メーカーの経営者などは、こうした動きを冷ややかに見ている。「日本の自動車市場は、高齢化や少子化で一段と縮小する。自動車メーカーの国内生産も減少するだろうし、我々も生産体制の再編を考えなければならない状況だ。これから厳しい合理化が必要になるのかもしれないのに、経営の負担が増加するベアを本当に実行するのか」と、賃上げムードに疑問を呈しているのだ。
確かに自動車メーカーの国内生産は、来年から縮小傾向に向かおうとしている。例えば、トヨタ自動車は14年の国内生産を年300万台程度と下請け各社に伝えた。これまで死守を掲げてきた「防衛ライン」のギリギリまで生産水準が落ち込むことになる。消費税が8%から10%へと引き上げられていく中で新車販売が一気に落ち込む恐れもあり、日本の自動車産業が現在のボリュームを維持できる保証はどこにもない。
この先行き不透明な状況でベアを実行してしまうと、経営サイドの負担は間違いなく増す。そして再び景気の腰折れや後退局面が訪れた時、経営者は収益率を高めるために工場閉鎖や余剰人員のカットといった大ナタを振るわざるを得なくなる。ムードに流されて将来に禍根を残すよりも、企業労使が責任を持って「ベアか、一時金か」を冷静に議論することが求められている。
(文=編集部)