本間氏は三洋時代に「電池の顔」といわれた人物だ。1970年、甲南大学法学部を卒業後、三洋に入社し、2006年に取締役、08年に副社長になったが13年に退社した。三洋では電池事業を育成し、同事業が三洋の経営再建の柱になったのは、本間氏の手腕によるところが大きい。海外事業のトップとして車載用電池を日米欧の自動車メーカーに売り込み、08年に独フォルクスワーゲン(VW)と車載用電池の共同開発にこぎ着けたことは、今でも高く評価されている。
会社が苦しい中、女子バドミントン部の部長として、「オグシオ」の愛称で知られる小椋久美子、潮田玲子の2選手を北京五輪へ送り出し、全社を鼓舞した親分肌でもある。電池工業会の会長を、07年から三洋を辞める13年まで務めた。
今回JDI社長に就任する有賀氏は、セイコーエプソン出身のエンジニアだ。83年に東京農工大学大学院工学研究科修了後に諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に入社。03年に取締役、05年にエプソンと三洋の中小型液晶の合弁会社、三洋エプソンイメージングデバイスの社長、11年からソニーの中小型液晶子会社、ソニーモバイルディスプレイの社長を務めた。
「もう新幹線は2社(日立・東芝)を乗せて東京駅を発車した。まもなく品川駅で途中停車する。ここでソニーが乗車しなければ二度と乗れない」
品川駅はソニー本社の最寄り駅だ。政府系ファンド、産業革新機構幹部の、新幹線になぞらえたソニーへの猛アタックに敏感に反応したのが、当時ソニーモバイルディスプレイ社長を務めていた有賀氏だった。液晶事業の厳しさを知っていた有賀氏は、「3社の統合しか生き残る道はない」と確信。親会社のソニー本社を説得したという。
12年4月、産業革新機構が2000億円を出資する国策会社として、日立製作所、東芝、ソニーの中小型液晶事業を統合してJDIが発足。有賀氏はJDIの執行役員に就任、13年に取締役になった。主力のスマートフォン(スマホ)向け事業は、米アップルとのビジネスは大塚社長、韓国サムスン電子は有賀取締役の担当だった。これからは有賀氏がアップルをカバーする。
上場不信の“先駆け”
現在、新規上場するベンチャー企業への不信が渦巻いている。昨年12月に東証1部へ上場したばかりのスマホ向けゲーム開発会社gumiが、上場からわずか2カ月半後に営業赤字に転落したことが引き金となった。そんなgumiに先立ち、JDIもまた14年3月19日に東証1部へ上場した際、市場関係者から多くの批判を呼んだ。初値は769円と公募価格900円を15%も下回り、その後も失速に歯止めがかからない。上場来安値は14年10月の311円。今年は1月9日に年初来安値の350円をつけ、5月11日の終値は480円だ。現在でも公開価格の半値以下である。