マツダ新型CX-30 「夢のエンジン」に50~100万円アップの商品価値があるのか?
要は商品価値に乏しいのである。単純に「このエンジンすごい」「これなら高くても欲しい」と思わせる商品になり難い。たとえば、C-HRの多くのユーザーがハイブリッド車を買うのは、ガソリン車の2倍に迫る「抜群の燃費性能」と、30万円ほどの追加金が妥当と思えるからなのだ。
マツダの理想主義の危うさ
近年のマツダは内燃機関の可能性をアピールし、安易な電動化に疑問を呈している。もちろん、近々に電気自動車(EV)が市場を占めるなんて話は多分に政治的だし、IT企業が自動車メーカーに取って代わるという説も眉唾だ。けれども、いわゆるダウンサイジングターボやハイブリッドまでも敬遠する姿勢は、いささか理想主義に過ぎる。
深化した魂動デザインによるCX-30のスタイルは美しいし、先述のように適度なサイズ感には可能性を感じる。けれども、イマイチよくわからない「夢のエンジン」に50~100万円の追加は疑問だし、ではディーゼルで勝負、というのも少々厳しい。
ここはもっとシンプルに、提携しているトヨタのハイブリッドシステムを使うべきだったと僕は思う。マツダは、先代アクセラでの不発を反省しているのかもしれないけれど、あれはセダンという数の出ない車型だったことが大きいし、そもそも露出(広告)も積極的じゃなかった。
今回は売れ筋のコンパクトSUVなんだし、素のガソリン以外はディーゼルとハイブリッドという2本立てで推せば、現実的な価格も含めてかなり効果的だったんじゃないかと。もちろん、今回はそのハイブリッドもしっかり宣伝することで。
じゃあ、せっかく量産化に成功したSKYACTIV-Xはどうするのか? 個人的には、このエンジンは上級車種から搭載を進めるべきだと思う。マツダはFRのプラットフォームや直6エンジンの展開を表明しているけれど、そういう高価格帯の目玉エンジンとして搭載するほうがよりスペシャルなイメージを出せるし、上乗せ金も現実的だ。
CX-30や2、3といった量販車種には、後日「X」の効果が認知され、量産効果で価格が下がってからの搭載でも遅くはないかと。せっかくの夢のエンジンなのだから、どうせならうまく育てたい。登場早々お荷物的な存在にしてしまうのはあまりにもったいない話だろう。
新世代商品によるマツダのブランディングは見事に成功している。その純粋な開発姿勢は素晴らしいけれど、過度な理想主義はキケンだ。もちろん、闇雲なシェア拡大を目指さない姿勢は素晴らしいけれど、多くのユーザーに支持されるのは、決してブランディングに反することじゃないと僕は思う。
(文=すぎもと たかよし/サラリーマン自動車ライター)