ルノーと日産の関係
日産とルノーの関係は、1999年に深刻な経営不振に陥った日産にルノーが支援の手を差し伸べたことから始まる。90年代後半、連結で2兆円を超す有利子負債を抱えた日産は経営危機に瀕した。日産は独ダイムラー・クライスラー(現ダイムラー)、米フォード・モーターと資本・業務提携交渉を進めたが、交渉は不調に終わった。最後にたどりついたのがルノーだった。ルノーは日産株の36.8%を取得し、ルノー出身のゴーン氏が日産のトップに就任した。国産自動車メーカーとしてトヨタ自動車と並ぶ歴史を刻んできた日産が外資の軍門に下り、外国人経営者が送り込まれた。
02年、日産はゴーン氏主導の改革で危機を脱した。日産もルノーの株式を取得して、相互に株式を持ち合うかたちになった。ルノーは出資比率を44.3%にまで引き上げ、日産はルノー株式を15%取得した。ところが、日産の持つルノー株式には議決権が与えられず、ルノーの事前了解がなければ日産はルノー株式を買い増すことさえできないという、不平等を絵に描いたような契約だった。
提携当初、ほぼ同じだった世界での販売台数は、14年度にはルノーが270万台、日産が530万台。日産がルノーのほぼ2倍に達した。日産が配当金の支払いなどで、ルノーの税引き後利益の8割を実質的に支えている。
日産の15年12月30日の終値を基準とした時価総額は、5兆7842億円。ルノーのそれは3兆5609億円(1ユーロ=130円で換算)。ルノー株式は日産の6割程度の価値しかないが、資本的にはルノーが日産に対して支配権を持つ。
しかし、業績ではルノーが日産にオンブにダッコされているという、いびつな関係が続いている。世界の自動車メーカーの首脳の中には「ルノーは日産に寄生している」と、はっきり言う向きもある。それでも両社の間に波風が立たなかったのは、両社のトップをゴーン氏が兼務してきたからだ。
日産が使った「切り札」
仏政府がルノーの議決権比率を28%に高めたことで、仏政府、ルノー、日産の3者の力関係が一気に流動化し始めた。仏政府がルノー株式の議決権比率を高めた目的は、ルノーと日産を合併させることにあった。業績不振のルノーを日産に合併させることで、日産をルノーの労働者の雇用の受け皿にすることを狙った。