最近、自動運転車が花盛りだ。昨年開催された東京モーターショーでも、日産自動車、ホンダなど大手自動車メーカーがコンセプトモデルを発表した。また。ショー開催期間の前後には、トヨタ自動車、ホンダ、日産が都内で報道陣向けに自動運転の公道試乗会を実施した。
そして米国では、グーグル(持ち株会社はアルファベット)がカリフォルニア州内を中心として、量産化に向けた実証試験を続けている。現在使用している車両は、ハイブリッド車のレクサス「RX450h」(トヨタ)、及びグーグルが独自に開発した小型の二人乗り電気自動車(EV)の2種類だ。
このほか、自動車メーカーや教育機関、さらには軍部が中国、ドイツ、ノルウェー、シンガポールなどで自動運転の開発を強化している状況だ。
2016年の年明け早々、ラスベガスで開催された世界最大級のIT・家電の見本市CES(コンシューマ・エレクトロニクス・ショー)でも自動運転に関連して、自動車メーカーや半導体メーカーによる人工知能に関する発表が行われた。
このように、自動運転の「主役になろう」とする動きは世界各地で加速している。だが、こうした状況を冷静に俯瞰してみると、自動運転の「主語がない」ことに気づく。
誰が使うのか? 誰のためなのか?
筆者は定期的に世界各国を巡り、自動車産業をメインに取材を続けている。そうしたなか、自動運転にかかわる技術者と会うと、話題の中心はセンサー技術、インフラ整備、そして国の政策となる。
また、自動車メーカーや政府機関が国際会議などで自動運転に関するプレゼンテーションをすると、(1)交通事故の低減、(2)二酸化炭素(CO2)削減による環境対策、(3)渋滞緩和による経済効果を挙げて正論を言う。
しかし「誰が使うのか?」という「そもそも論」になると、「高齢者」「クルマによる通勤者」「週末レージャーに行く家族」といったあいまいな答えしか持ち合わせていない。なぜそうなるか。