7千円でも入手困難な日本酒を生んだ、中小酒造会社の「業界常識破り」…大幅コスト増を吸収
高級日本酒への着手
関谷醸造は1864年、愛知県山間部の北設楽郡で創業され、現在もその地で酒造りが行われています。代表的な商品である純米大吟醸「空」は、一升(1.8リットル)で7500円程度という高価格にもかかわらず、入手が極めて困難な幻の酒として地元では有名です。その他、関谷醸造は数多くの高級酒を取りそろえ、売り上げの3分の2を高級酒が占め、低価格競争とは一線を画し、順調に利益を上げています。
関谷醸造は昔から高級日本酒をつくっていたわけではありません。以下、高級日本酒に着手するまでの道のりを見ていきましょう。
1975年当時、日本酒業界はまだ景気のよい時代でした。しかしながら、今後、市場環境の悪化が予想され、生き残りをかけ、新たな戦略が求められていました。
その頃、新潟・石本酒造の「越乃寒梅」など、地酒ブームが起こります。名古屋から蔵元までわざわざ買いに行く客も現れていました。一般的な日本酒が一升で1500円程度だった時代に、越乃寒梅は1~2万円でも客は喜んで購入していました。実際に飲んでみると、確かにおいしく、こうした日本酒を自社でもつくれないかと関谷醸造は検討し始めました。
その結果、おいしさの秘密は原料と精米率にあることがわかりました。最高級の原料を使用し、磨けば磨くほど雑味が取れておいしい日本酒となります。しかし、こうした条件で日本酒をつくるとなると、1.5倍程度のコストアップとなります。それは大きなリスクを伴いますが、関谷醸造は開発に着手することを決断しました。
具体的には、最高の米を原料とし、すべての商品の精米率を10%ほど高めることにしました。また、酒造りには特別な技術が必要となりますが、新潟出身の同社の杜氏がその技術をもっていたという幸運にも恵まれました。
販売価格を抑える戦略
良い日本酒をつくるめどは立ったものの、やはり1.5倍のコストアップをそのまま価格に反映させることは難しい、つまり顧客の許容できる価格レベルを超えてしまうという問題は残りました。そこで、関谷醸造では販売価格を抑えるために以下の戦略を実行しました。
まず、流通業者へのバックマージンを廃止しました。これは非常に大きな決断であり、社長の覚悟を強く感じさせられます。なぜなら、当時の日本酒の流通では10本入りの木箱に1本つけるのが慣行でした。つまり、約1割のバックマージンが普通であったわけです。当然のことながら、バックマージン廃止に対する反発は激しく、取り扱いをやめる店や積極的には売ってくれない店が現れました。