全国的に「お城ブーム」が続くなか、世界文化遺産であり国宝でもある兵庫県の姫路城(別名・白鷺城)の人気が沸騰している。
姫路城は昨年3月下旬、総工費24億円をかけた約5年半にわたる「平成の大修理」を終えてグランドオープンした。青空を背景に真っ白な五重7階の大天守(地上6階、地下1階)が威風堂々と聳える姿は、見る者に圧倒的な感動を与える。グランドオープン直後は「あまりの白さに、白鷺城をもじって“白すぎ城”などと言われ話題だった」(地元のタクシー運転手)という。昨年の大型連休時には天守閣に入るのに「3時間待ち」と、テーマパークの人気アトラクション並みの行列ができたほどだ。
大修理の効果は数字にも顕著に表れた。2015年度の入城者数が昨年12月9日に222万人を突破し、日本国内の城郭のなかで年間入城者数過去最多を記録した。過去の記録は熊本城で、08年度の221万9517人だった。今年に入ってからも勢いは衰えていない。観光シーズンから外れる1~2月も例年に比べ大幅増が続き、昨年4月1日から3月24日現在までの入城者数は277万8701人に達した。「1日1万人ペースで訪れている」とタクシー運転手が語っていたが、それに近い数字である。
「単純な計算ですが、入城料は大人1000円、小人300円ですから、入城料収入だけで二十数億円になる。大修理代はほぼ回収できたのではないか」といった見方もあるほどだ。
それにしても、なぜこうも人気が沸騰したのか。その謎に迫る。
築城当時の姿が現存
人気の秘密は、「本物」の絶対的価値である。五重7階の連立天守が完成したのは、池田輝政の時代。関ヶ原の戦いでの武功が認められ、1600年(慶長5年)に播磨52万石の姫路城主となった。輝政は翌年から大改装に取り掛かり、1609年(慶長14年)に天守を完成させた。ちなみに、それ以前に1580年から3年間にわたって城主だった羽柴秀吉(豊臣秀吉)は三重天守を築いている。
以来、城主は何度も代わったものの一度も戦火に見舞われることなく、太平洋戦争の空襲も免れた。それゆえ、築城当時の姿を今日まで残している。その本物の価値が認められ1993年、日本の木造城郭建築の代表例として、奈良の法隆寺とともに日本初の世界文化遺産に登録された。
「江戸時代以前につくられ、現在まで当時の天守閣が残る城は日本に12あるが、規模や美的完成度という点では傑出した存在です」(歴史好事家)