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三菱自の会長にはゴーン氏が就任する方向だ。日産から会長を含めて4人の役員が派遣され、11人の経営陣(ボード)の3分の1を制することになる。社長は三菱自から出す予定だが、技術のことが本当にわかる人物に替える。日産の傘下に入る前には、益子修会長(三菱商事出身)と相川哲郎社長(三菱自動車出身)は引責辞任するとみられていたが、益子氏はゴーン氏との関係で取締役として残る可能性が出てきた。
「日産側は益子氏が社長に復帰する案を秘かに練っている」(日産筋)
トップ人事も注目点だ。
乏しい全容解明の意思
相川社長の当事者能力の欠如が今回のスキャンダルで露になってきた。5月11日の3度目の記者会見に出てきた相川氏の顔つきはまるで別人。実父の相川賢太郎氏(三菱重工元社長・会長)の後押しで三菱自社長に就任したが、益子会長が心配したように、やはり「社長の器」ではなかったという評価も多い。
5月11日の3度目の記者会見で初めて姿を見せた益子氏は、相川氏ら同席者による燃費不正の経緯説明に対して、相川氏の力量不足を痛感したような表情を浮かべていた。
益子氏は同11日の会見で、データ改竄に関与したのが開発部門の関連会社、三菱自動車エンジニアリングであったことを明らかにした。しかし、三菱自で改竄を指示したのが誰で、経営陣による組織的な関与があったのかどうかなど核心部分の解明がまったく進んでいない。軍事産業である三菱重工は極密情報を隠すのが習い性になっている。この負のDNAを三菱自は受け継いでいるといわれている。現下の三菱自に、全容を解明する意思がないように映るのはこのためだ。
全容が解明されないままで相川氏が引責辞任するというケースも想定されている。
“ゴーン流”のしたたかな駆け引き
三菱自と日産は2011年に合弁会社を設立し、軽の共同開発を始めた。日産は開発部門のトップを三菱自に送り込む。その上で、三菱自の水島製作所を拠点として、日産は独自の設計に基づく軽自動車を生産することになる。生産拠点を一体運営することになるとしているが、内実はもっとドロドロしている。三菱自は「軽からの撤退は考えてない」(益子氏)ため、日産の軽自動車が三菱自にOEM(相手先ブランド)供給されることも考えられる。
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