倒産の危機に瀕し、借金することの惨めさが身に染みた経験が、手元に現金を残すことに向かわせたのだ。手持ち資金が潤沢な企業は、「銀行」などと呼ばれることがある。トヨタ自動車も「トヨタ銀行」と称されている。任天堂は、正真正銘の「ニンテンドー銀行」だった。希代の預金魔である山内氏は、ポケットマネーで米大リーグの球団、マリナーズを手に入れた。
マリナーズの試合を観戦したことがないオーナー
山内氏は92年、経営危機に陥って他都市への移転が検討されていたマリナーズの運営会社の持ち分を個人で取得した。山内氏は常に「マリナーズへの出資は米国任天堂を快く歓迎してくれたシアトルに対する感謝の印」と考えていた。
大リーグのオーナーというステイタスを求めて出資したわけではない。2013年に85歳で亡くなるまで、シアトルを訪れてマリナーズの試合を一度も観戦したことはない。おそらく米国の土を踏んだこともないだろう。そもそも、日本でもプロ野球の試合を見たことすらないようだ。
まったく興味のない野球チームを買収したのは、ビジネスのためである。買収工作の中心になって動いたのは娘婿で、当時、米国任天堂の社長だった荒川實氏だ。荒川氏は京都大学から米マサチューセッツ工科大を出た丸紅の商社マンだった。任天堂の米国進出を成功させ、初期のファミコン時代から家庭用ゲーム機を米国で普及させた功労者である。
荒川氏は、山内氏と彼に財政支援を求める米上院議員のスレード・ゴートン氏のつなぎ役だった。マリナーズの身売りを心配した上院議員の要請を受けて、転売される寸前に山内氏が経営権を買い取ったのである。
それによってマリナーズのシアトル残留が決まった。まったく観戦に来ないオーナーだったとしても、シアトル市民にとって山内氏は球団の救世主なのである。
任天堂に必要なのはソフト体質の経営者だ
マリナーズ買収の立役者である荒川氏は、山内氏の後継者と目されていた。ところが山内氏は「彼は任天堂の社長に向かない」と解任した。
山内氏の経営観は独特だ。任天堂の経営の本質を語った珍しい語録が残っている。
「必需品をつくるハードの会社と(娯楽分野の)ソフト会社というのは、体質が全然違うんですね。言い換えると、ハードで成功した経営者がソフトをやれるかというと、とてもそうはいかないというのが僕の考えです。
だから、いったい何を基準にして任天堂に必要な人を選ぶのかといえば、その人が『ソフト体質』を持っているか否か。(中略)ハード体質の経営者がもしいたとしたら、辞めてくれと言いますし、そうしないと任天堂という企業はつぶれるんですよ」(「日経ビジネス」<日経BP/2007年12月17日号>)