任天堂は子会社の米国任天堂が持つ米大リーグ球団、シアトル・マリナーズの所有権の大半を売却する。所有権の一部は持ち続けるが、事実上、球団経営から撤退し、元社長の故山内溥氏が1992年に個人として出資して以来、24年間続いた筆頭オーナーの座を降りる。
マリナーズは西海岸のシアトルに本拠地を置き、かつてイチロー選手や佐々木主浩投手が在籍したこともあって日本では知名度が高い。今も岩隈久志投手と青木宣親選手が所属している。
米国任天堂(ニンテンドー・オブ・アメリカ)は球団の筆頭オーナーで、所有権の過半数を持つ。持ち分の10%を残し、地元の既存の出資者に売却する予定で、8月に開かれる大リーグの会議で承認を受ける。
山内氏は日本人として初めて大リーグ球団オーナーに就任。その後、2004年に任天堂が山内氏の出資分すべてを6700万ドル(当時のレートで約70億円)で買い取った。現在の運営会社の評価額は14億ドル(約1500億円)に上るため、多額の売却益が発生する。
山内氏は希代の預金魔だった
山内氏とは、いかなる人物なのか。
任天堂の創業は1889年9月。工芸職人だった山内房次郎氏が京都の平安神宮の近くに「任天堂骨牌」を創立、花札の製造を始めた。花札の裏側に「大統領」の印を押した「大統領印の花札」は関西の賭博場で広く使われた。プロの博打うちは勝負のたびに新しい札を使ったため、任天堂の花札はよく売れたという。
房次郎氏は工芸家であると同時に事業家でもあった。1902年に日本で初めて国産のトランプを製造した。
中興の祖は房次郎氏の曾孫の山内溥氏。父親が出奔したため、祖父の元で跡取りとして育てられた。祖父が買い与えた東京・渋谷区松濤の豪邸から早稲田大学に通い、ビリヤードに熱中するなど、敗戦後の焼け跡の時代にも贅沢三昧の生活を送ったという。
しかし49年、22歳の時に祖父が病に倒れ、大学を中退して京都に戻り家業を継いだ。その後は苦難の日々が続き、オイル・ショックで倒産の危機に直面した溥氏は、脱花札・トランプを目指しテレビゲームに参入。83年、任天堂のファミコンゲームが子供たちの間で爆発的な人気を呼んだ。
ゲーム機では最後発だったが、「おもしろいソフトをつくる」という理念でエンターテインメントに特化し、“世界のニンテンドー”へと大変身を遂げた。
ゲームソフトのコストは開発費と人件費だ。大規模な設備投資を必要としない。山内氏は、ゲームソフトで得た利益をひたすら預金した。M&A(合併・買収)に回すわけでも、配当を大幅に積み増して株主を喜ばせるわけでもなかった。