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「加谷珪一の知っとくエコノミー論」

恐れるものがなくなった中国は香港を完全支配し、日本が最も大きな被害を受ける

文=加谷珪一/経済評論家
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「gettyimages」より

 中国政府が香港に対する本格的な弾圧に乗り出している。新しく施行した香港国家安全維持法に基づいて、民主活動家を次々と逮捕しているが、国際社会は手をこまねいている状況だ。

 中国が強硬姿勢に転じた理由は、米トランプ政権が目先の利益を追求するあまり、中国に対する有力なカードをほとんど使い切ってしまったことである。日本政府の対応も心許なく、このままでは香港が完全に中国の支配化に入る可能性が高まっている。

中国が香港の自治を維持してきた理由

 香港は中国の一部だが、英国から中国に返還された1997年以降、香港の憲法ともいえる「香港特別行政区基本法(いわゆる香港基本法)」によって運営されてきた。基本法には中国における一国二制度の原則のもと、中国本土にはない自治権などが規定されており、完全とはいえないまでも中国のなかで民主主義が通用する唯一の場所であった。

 中国は世界第2位の経済大国となっており、各国は中国との取引なしに経済活動を維持することはできなくなっている。だが、中国国内は私有財産権が厳密に保護されないといった固有のリスクがあり、中国本土での活動については慎重にならざるを得ない。

 一方、香港は英国統治下にあったことから英語が通用するだけでなく、基本的に英米法をベースに取引ができるため、諸外国の企業にとっては安心して中国と取引できる場所だった。中国への投資を検討する企業は、基本的に香港の金融機関を介在させることで、中国本土特有のリスクをヘッジすることができた。金融だけでなく、モノの取引についても同じである。

 香港のすぐ近くにはハイテク都市として知られる深センがあり、香港と深センは事実上、一体として機能してきた。深センの企業が製造した製品が香港経由で各国に出荷されるケースは多く、ここでも香港は中国と諸外国のバッファとしての役割を果たしている。

 中国は、本来、こうした状況は望んでいなかったはずだが、不本意ながらも香港の自治権を維持してきたのは、香港という場所が存在しないと、国際社会と円滑な取引ができないという恐怖感を持っていたからである。中国はGDP(国内総生産)に占める輸出の割合が高く、世界各国と円滑に貿易ができなければ、自国の経済を維持できない。また、人民元をもっと国際金融市場で流通させたいという希望を持っており、そのためには、米国や欧州との良好な関係が必須であった。

 世界各国との円滑な貿易を維持したいという中国の願いは、まさに中国の弱点であり、米国や欧州、日本にとっては最大の交渉材料であったといってよい。

トランプ大統領の誕生で状況が一変

 こうした状況であるにもかかわらず、中国は今年に入って香港に対して強権的なスタンスに転じ、6月には香港基本法を事実上、骨抜きにする香港国家安全維持法を公布した。この法律では中国共産党に対する批判が違法行為となるほか、正当なデモであってもテロ行為とみなされる可能性があり、事実上、民主化運動は実施できなくなる。

 実際、同法の施行後、香港政府は、香港メディア界の大物で民主活動家の黎智英(ジミー・ライ)氏や、若手の民主活動家である周庭(アグネス・チョウ)氏、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏などを次々と逮捕した。3氏はとりあえず保釈されたが、今後、どのような対応となるのか現時点ではわからない。ただ、民主化運動のリーダーが軒並み逮捕されたことで、香港の民主化運動が消滅の瀬戸際に追い込まれているのは間違いない。

 中国政府は各国との貿易を失うことはできないので、香港の民主化運動に対して抑制的に振る舞うしかないというのがこれまでの基本認識だった。中国政府は、ここに来て大きくスタンスを変えたわけだが、その原因が米トランプ政権の経済政策にあることはほぼ明らかだ。

 オバマ政権までは、中国は友好国ではないものの、基本的に交渉相手という認識であり、米中貿易の活発化や人民元の国際化について米国が便宜を図る代わりに、中国は香港の民主化運動を弾圧しないというのが基本的な交渉の土台であった。つまり貿易の活発化と人民元の国際化をエサに中国の行動を牽制し、人権を武器にうまく中国をコントロールする戦略といってよいだろう。

 ところがトランプ政権になって、これまでの対中政策はすべて破棄されてしまった。トランプ政権は、基本的に自国経済しか見ておらず、中国との交渉も基本的に国内問題の解決策としてしか考えていなかった。トランプ氏自身、人権問題にほとんど関心がなく、香港の民主化運動については、当初「ただの暴徒に過ぎない」とすら発言していた。

 トランプ氏は、表向き香港への対応を批判する発言を行っていたが、水面下では、ウイグルを含む中国の人権問題について米国が干渉しない代わりに、中国が米国産農作物の輸入を拡大するという交渉を進めてしまい、香港問題は事実上、放棄されてしまった。

 この話は米国政府は正式に認めていないが、ボルトン前米大統領補佐官が回顧録で詳細な顛末を明らかにしており、ほぼ事実と見てよいだろう。ちなみに、ボルトン氏によると、トランプ氏は農作物の輸入を決めた習近平国家主席に対して「あなたはここ300年で最高の中国の指導者だ」と褒め称えたという。

米国はもともと「他国などどうでもよい国」だった

 この一件によって、中国が香港問題について米国の不干渉を取り付けたことに加え、トランプ政権が中国に対して貿易戦争を仕掛けたことも、中国の強引なスタンスを加速させた。

 先ほどから説明しているように、中国は輸出を経済成長のエンジンとしており、とりわけ米国への輸出が中国経済にとって重要であった。ところがトランプ政権は中国製品に対して次々と高関税をかけ、中国製品を米国市場から閉め出してしまった。

 米中貿易戦争によって対米輸出が期待できなくなったことで、中国にとって恐れるものはなくなった。対米輸出が減った影響は大きかったが、一方で中国は輸出ではなく内需で経済を成長させる仕組みの構築を進めており、実際、貿易戦争の勃発後は、構造改革を急ピッチで実施している状況だ。

 つまりトランプ政権の経済政策によって、中国がこれまで最も恐れていた貿易の停滞や、人権問題の提起といった懸念材料がすべて雲散霧消したのである。失うものがなくなった中国は、諸外国の動向を無視する形で、香港に対する弾圧を強めているというのが今の状況である。

 米国のこうしたスタンスについて疑問視する声も出ているが、米国はかつてモンロー主義(各国に対する不干渉主義)を掲げていた国であり、元来、他国についてはお構いなしであった。こうした歴史的経緯を考えると、戦後の米国がむしろ特殊だっただけで、トランプ政権の誕生によって、単に元の姿に戻ってしまっただけともいえる。

 いずれにせよ、日本がいくら要請したところで、トランプ氏が香港問題に対するスタンスを変える可能性は低く、政権が変わらない限り、米国への期待は無意味だろう。

日本は本当に香港の民主活動家を支持しているのか?

 トランプ政権が事実上、香港を見捨てていることが原因なのか、日本政府の対応もかなり消極的である。国内では一部世論が香港に対する支援を強く主張しているが、本当に民主主義の支援を目指したものなのか不透明な部分も多い。

 日本の世論は以前から香港問題に対する関心は極めて薄いというのが現実であった。加えて、今、中国を批判している人たちの大半は、単に中国が嫌いという理由で香港問題を取り上げているに過ぎず、民主主義に対して深い理解があるのかは疑問である。

 中国に対して批判的な論者の一部は、かなり保守的であり、高学歴で民主主義を強く主張するリベラルな若者には嫌悪感を抱いているはずだ。香港の民主化運動をリードし、今回、逮捕された周氏や黄氏のような人物は、典型的な高学歴リベラルであり、日本における中国批判層とはそもそも相容れない。

 こうした保守層は心情的にトランプ氏のような人物を好むはずであり、トランプ氏もやはり高学歴でリベラルな若者を嫌っている。そうであればこそ、民主化デモは「暴徒である」として非難していたし、香港問題についてもまったく冷淡だった。

 今、日本において中国を批判している人たちは、基本的にトランプ氏と近い価値観であり、今後も長きにわたって香港の民主活動家を支援する覚悟があるとは思えない。結局のところこうしたミスマッチが、日本政府のスタンスにも反映されているとみて良いだろう。

 非常に残念なことだが、このままの状態が続くと、米国は香港を救済せず、香港は完全に中国に取り込まれてしまう可能性が高い。トランプ政権は地球の裏側で何が起ころうが知ったことではないだろうが、中国の覇権が膨張することで最も被害を受けるのは日本である。その日本において、中国の暴走を許すトランプ氏を心情的に支持する人が多いというのは皮肉というよりほかない。

(文=加谷珪一/経済評論家)

加谷珪一/経済評論家

加谷珪一/経済評論家

1969年宮城県仙台市生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、日経BP社に記者として入社。野村證券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。独立後は、中央省庁や政府系金融機関など対するコンサルティング業務に従事。現在は、経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行っている。著書に著書に『貧乏国ニッポン』(幻冬舎新書)、『億万長者への道は経済学に書いてある』(クロスメディア・パブリッシング)、『感じる経済学』(SBクリエイティブ)、『ポスト新産業革命』(CCCメディアハウス)、『教養として身につけたい戦争と経済の本質』(総合法令出版)、『中国経済の属国ニッポン、マスコミが言わない隣国の支配戦略』(幻冬舎新書)などがある。
加谷珪一公式サイト

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