成功者や富める者に実は共通している「経験」…そうではない「あなた」との決定的違い
日本経済新聞の人気連載『私の履歴書』に、11月は作曲家・編曲家の服部克久氏が執筆されていた。ご存じの通り、服部氏は音楽のプロとして大活躍されている方であるが、同連載を拝読して、「プロになるとはそういうことだよな」と改めて納得した次第である。
プロになるために必要な“不連続な努力”
同連載によれば、服部氏は高校卒業後、単身フランスのパリ国立高等音楽院に留学したそうだ。時は1955年。今から約60年前だ。1カ月もかけて船でフランスに渡ったということだから、当時としてはいかに特別なことだったか伺い知れる。
服部氏は、やはり大活躍された音楽家・服部良一氏のご子息だから、環境的にも経済的にも恵まれていたのは事実だろう。だからこそ、その時代にそのような経験ができたといえばそうかもしれない。
しかし、それを差し引いて考えても、60年前のその時代に、高校を卒業したばかりの10代の若者がたった1人でパリに音楽を学びに行くというのはすごいことだ。海外に行くことがはるかに容易になった現在でも、そのようなことをする若者はそうそういない。
同連載には、「パリ国立高等音楽院の授業はきつかった。なぜあれほど頑張れたのか、不思議なくらい勉強した。当時、僕は繰り返し同じ夢を見ていた。何も勉強しないまま日本に帰ってきてしまうという夢だった。」(11月19日付朝刊)とある。服部氏がパリでの数年間、いかに強烈に勉強したかがよくわかる。
そして、「やはりそうか」と思うのである。プロと呼ばれる人は、そうでない人から見るとただ「すごい」と見えるかもしれないが、そのような人は何もせずにそうなったわけではない。プロになるまでの苦労話をする人はそういないから、よくわからないかもしれないが、プロと呼ばれる人の多くに共通しているのは、若い頃のある時期、集中的に濃密な勉強をした経験があるということだ。その努力は壮絶といってもいい。
ある特定の時期におけるそのような壮絶な努力を、私は“不連続な努力”といっている。継続的に勉強し続けることも重要であるが、ある時期に壮絶な不連続な努力をしたことが、その人を「プロ」にし、その後の礎になっていることが多い。
服部氏でいえば、パリ国立高等音楽院に留学していた時期が不連続な努力の期間だったといえる。