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ヤフー・ジャパンの大矢俊樹最高財務責任者(CFO、42)は決算会見で、ヤフーと行ってきた自社株の買い取り交渉を中断したことを明らかにした。価格面など条件が折り合わず、今年に入って協議を打ち切ったという。それでも「3分の1という重要なポジション(の持ち株)を売りたいという話なので、望ましくないところに(株が)行くのはよくない」と考えている。ヤフーの株式保有分を時価に換算すると約4670億円。はんぱな金額ではない。日本側は買い取り交渉を再開したい意向だが、米ヤフーのCEOが頻繁に交代するので、交渉相手が定まらない。
日米のヤフーは、孫社長のビジネスの原点である。ヤフーは台湾出身のジェリー・ヤン氏と白人のデビット・ファイロ氏がスタンフォード大学院の院生時代に起業したベンチャー企業で、従業員も5~6人規模だった。95年11月、ヤフーの本社があるカリフォルニア州のシリコンバレーに飛んだ孫氏は、2人に言った。
「ぼくはきみたちに5%出資させてもらうよ。それから、日本でジョイントをやろう。日本法人の資金はこちらで用意する。出資比率は6対4。そちらで出す4割の分も、こっちで貸与するから安心してくれ。キャッシュは出さなくていい」
株式公開まで2週間に迫った96年2月、孫氏は再び2人にこう言った。
「ヤフーへの出資率を5%から35%に引き上げたい。筆頭株主になって、本格的にヤフーを応援したい。ヤフーを、インターネットの大スターにしたいんだ」
ソフトバンクが投資した100億円は、ヤフーが株式を公開したとたんに3倍に跳ね上がった。96年1月、ソフトバンクとヤフーの合弁で、日本法人のヤフー株式会社が発足。この時点で。日米のヤフーがソフトバンクのドル箱となったといっていい。ヤフー・ジャパンは97年に、日本市場で株式を店頭公開、大化けする。ネットバブルの最盛期、00年には株価が1株、1億円を突破した。
この間、孫社長は新興ベンチャー市場、ナスダック・ジャパン(現・大証ヘラクレス)を立ち上げ、日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)を買収するなど、金融・証券の分野でも時代の寵児となった。しかし、ネットバブルは崩壊し、ピンチに立った孫氏の変わり身は、実に早かった。「昔から通信をやりたかったんだ」。こう言ってブロードバンド(高速、大容量のネット接続)で勝負に出る。
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