常識的に考えて、売上高が1兆円を超えている事業で、たったの56億円の利益しか生み出せないということは、完全にその事業が利益を生めない体質になってしまったという事態です。これを打破できないのであれば、ヤマトHDは衰退の一途をたどるしかありません。そうであるからこそ、ヤマトHDは冒頭で紹介した抜本的な打開策を打ち出したのです。
過去の抜本的な打開策
実はヤマトHDがこのような大掛かりな打開策を打ち出したのは、今回が初めてではありません。1979年に当時最大の得意先であった三越(現三越伊勢丹ホールディングス)の配送業務から撤退したという歴史があります。それまでの三越は、「三越さんには足を向けて寝られない」と創業者の小倉康臣氏がいうほどの重要な得意先でした。
しかし、三越の社長に岡田茂氏が就任した頃から、その関係は変わります。まず、三越は自社の業績悪化の対応策として、配送料金の値下げを要求しました。それだけでなく、ヤマト運輸の三越専属車両が三越の配送センターを利用していることを理由に駐車料金を徴収し、さらに配送担当の社員が三越の施設内に常駐しているとして事務所使用料を払うよう要求しました。
こうした要求は三越の業績回復までという条件だったため、ヤマト運輸はこれを受け入れましたが、いつまでたっても改善されることはありませんでした。それどころか、三越主催の海外ツアーにも参加を強要され、絵画や別荘地、プロデュースした映画の前売り券などの購入を強制されるようになりました。
その結果、ヤマト運輸の三越出張所の収支は赤字となりました。当時の三越はヤマト運輸にとっては一番の得意先というべき存在でしたが、その事業で赤字を出すとなれば一大事です。ヤマト運輸にしてみれば、三越の要求は商業道徳を完全に無視しているように思え、「このまま三越と取引していたのでは、ウチは潰される」と判断したヤマト運輸は、三越の業務から撤退したのです。
企業経営においては、ときにそのような決断が求められるようなことがあります。最近、よく「Win-Win(ウィンウィン)」の関係という言葉を聞きます。これは、取引する双方が勝者になる関係を意味しますが、当時の三越とヤマト運輸の関係は「Win-Lose」の関係になってしまっていたのです。しかし、実態としてはこのような「Win-Lose」の関係は少なくありません。