一連の責任をとり、役員の処分とともに、山本会長や栗原社長ら役員を対象に4月から3カ月間、報酬の10~30%返上と賞与カットを決定。親会社の古森氏と助野氏も3カ月、報酬を10%返上した。
富士ゼロックスは富士フイルムHDが75%出資する子会社だが、独立色が強かった。助野氏は会見でこう述べた。
「ゼロックスをうまく管理できなかった。ゼロックスは1兆円以上の売り上げがあり、ある種、独立した企業体。(親会社は)細かく干渉してこなかった」
いわば“治外法権”で、子会社なのに経営に口出しできなかったと告白したようなものだ。
6月12日、富士フイルムHDは延期していた17年3月期の連結決算(米国会計基準)を発表した。売上高は前期比6%減の2兆3221億円、営業利益は1%減の1728億円、純利益は18%増の1315億円だった。最終利益が増益になったのは、株式など有価証券の売却益を225億円計上したからだ。「最終増益にするために“お化粧”をした」と皮肉る経理の専門家もいる。
しかも、この決算は、監査法人の承認を得ていなかった。今回の不正会計問題は監査法人を新日本から、あずさに変えたことで明らかになった。NZ販社の不正会計問題が地元紙に大きく取り上げられ、この記事をあずさの富士フイルムHD担当の公認会計士が発見したことが発端だった。
監査法人の承認を得ていない決算は仮決算だ。株主総会までに監査法人から適正意見が得られるかがひとつの焦点となったが、株主総会には間に合わなかった。
富士ゼロックスがグループの稼ぎ頭
富士フイルムHDの事業は、大きく3つの部門から成り立っている。複合機をはじめとする事務機で構成するドキュメント事業、インスタントカメラなどのイメージング事業、液晶パネル向け素材に医薬品などが加わったインフォメーション事業だ。このうち、稼ぎ頭は富士ゼロックスが大部分を占めるドキュメント事業である。
17年3月期のドキュメント事業の売上高は1兆809億円で、営業利益は827億円。これは全社の売り上げの46%、営業利益の48%を占める。富士ゼロックスが富士フイルムHDを支えているといっても過言ではない。
こうした収益構造になったのは01年だ。00年、富士写真フイルム(当時)の社長に古森氏が就任した。デジタルカメラの普及で、創業事業である写真フイルムの需要が急減し、古森氏は写真事業の抜本的な構造改革を決断した。
フイルムがダメなら事務機で稼ぐしかない――。そこで01年に、合弁の相手先である米ゼロックスの持ち株を買い取り、富士ゼロックスへの出資比率を75%に高めた。
富士ゼロックスには富士フイルムHDの子会社という意識はなかっただろう。富士ゼロックスには小林陽太郎氏という、経済界を代表する経営者がいた。小林氏は1978年から2006年まで富士ゼロックスの社長、会長として君臨。この間、経済同友会代表幹事も務めた。