このところ、放送制度改革に関するニュースを目にする機会が増えている。安倍晋三首相は自身に批判的なテレビ局に対して苛立ちを強めており、各局に対する牽制球としてこの話題を持ち出したともいわれる。だが、当事者であるテレビ局はもちろんのこと、与党内からも改革に反対する声が上がり、議論は後退を余儀なくされた。
キー局は放送法の下、事実上の独占市場を形成しているが、ここにはキー局を中心にした地方への資金分配という側面があり、これが地域政治と密接に結びついている。与党とテレビ局は持ちつ持たれつの関係であり、容易には状況を変えられないという複雑な事情がある。
放送はコンテンツと配信が一体となっている
現在、日本においては通信と放送は分離されており、通信については自由化が進められてきたが、放送に関しては数多くの規制が存在している。
もっとも大きいのは放送法の第4条が定めている政治的公平性の担保で、テレビ局は特定の政党を支持する番組をつくることができない。また、第5条では、報道番組とバラエティ番組、教育番組、教養番組のバランスを取ることが定められており、各局はこのルールに沿って番組を編成している。基本的な編成がどの局も同じようになっているのはこうした理由からだ。これに加えて外資規制が設けられており、外国企業がテレビ局を支配することもできない仕組みになっている。
これらの規制をすべて撤廃し、誰でも自由に放送できるようにするというのが放送制度改革の基本的な趣旨である。この制度が実現した場合、従来型の放送局はなくなり、コンテンツを制作する会社と、放送網を管理してコンテンツを配信する企業に分離される可能性が高くなる。
インターネットの業界では、コンテンツをつくるメディア企業と、プロバイダなどの配信企業は分離されているが、放送制度が改革されれば、テレビ局もこれに近いイメージになる。
これまでテレビ局は、放送法という枠組みの中で、コンテンツの作成と配信の両方を手がけ、事実上の独占企業として大きな利益を上げてきた。これが一般に開放されれば、テレビ局にとって大打撃となるのは間違いない。
首相官邸としては、テレビ局の利益の源泉に揺さぶりをかけることで批判を押さえ込もうという算段かもしれないが、この動きは自民党にとって諸刃の剣となりかねない。主な理由は2つある。
現行の放送法は与党の利益のために存在する
一つ目は、放送法4条を撤廃してしまうと、政権与党は逆に放送に介入する口実を失ってしまうという現実である。民放のテレビ局は、放送法の規制の下、キー局が電波をほぼ独占するという状態で経営を行ってきた。電波はもっと多くの事業者に付与することが可能だが、政府はあえてごく少数の事業者にだけ免許を与えている。
先にも述べたように放送法は、政治的に公平な番組の制作を義務付けている。逆に言えば、放送法に違反した場合には、免許を取り上げ、事業を停止させることが理論上可能となる。