全自動コーヒー抽出器「FURUMAI」が密かにブーム…有名バリスタたちのノウハウ凝縮
勝つためには「会社の支援」が不可欠
2つめは、経営者や幹部が「大会への取り組みを真剣に支援しているか」だという。
「日本人初の世界王者となった井崎英典バリスタをはじめ、長野県の丸山珈琲が何年も優勝し続けた理由は、丸山健太郎社長がもっとも情熱的に競技会の上位入賞を推し進めたからです。近年、上位入賞を続ける茨城県のサザコーヒーも同様で、鈴木太郎副社長や小泉準一取締役の熱意や支援は、チームの成長に非常に大きな貢献をしています」(同)
逆に、活動に否定的な経営者や幹部もいる。「店の売り上げに直結しない」「上位に入ったら、練習時間や環境を整える」と言い放つ上司もいる。「地道に繰り返す練習は、楽ではありません。そもそも上位入賞をめざして練習するのに、『上位に入ったら練習時間を与える』とは本末転倒です」と阪本氏は嘆く。そうした環境のバリスタは、業務以外の私生活の大半を練習に割き、コーヒー豆を自腹で購入するなど厳しい戦いを強いられる。
多くのバリスタを指導する阪本氏は、相手の性格や状況に応じて、コーチング、ティーチング、メンタリング、コンディショニングを行う。だが、最後は本人の「自問自答」だと話す。コーヒーの競技会だけでなく、さまざまなビジネスシーンに共通する話に思える。
プロ格闘家をめざし、コーヒー業界に方向転換
北海道札幌市出身の阪本氏は、「サンボ」などに魅せられプロ格闘家をめざして上京した。だが、格闘家としての限界を悟る。その後は、同時並行で勤めていた大手飲食チェーンの業務に没頭。店舗経営部で各店の営業支援を担当する。早くに出世し、30歳で約200店舗、100人以上の部下を持つ。この経験で「店」や「人」を支援するという、自らの資質に気づいた。
転機は2005年だった。次に進む道を模索して、転職支援会社に紹介を受けたエムフーズ(パチンコのマルハンの100%子会社で現マルハンダイニング)に入社。同社の新規事業で、米国のスペシャルティーコーヒー「ZOKA」(ゾッカ/シアトル系のコーヒーロースター)を日本で展開するプロジェクトに店舗運営の総責任者として参加する。
喫茶業界の潮流が、昭和型の「喫茶店」から平成型の「カフェ」に移行し、新しいコーヒーの世界も芽生え、バリスタという職種が注目を浴びた「時代性」も同氏に味方した。
業界の旧習に染まっていない阪本氏は、すぐに結果を残した。早くも2年後には、指導したバリスタが準優勝。2007年に丸山珈琲に移り、同社の統括マネジャーとして店舗経営からバリスタ育成まで担当。14年には、井崎氏をJBC2連覇、WBC(世界大会)でも優勝に導いた。
15年に独立した後も活動を続け、これまで30人以上のバリスタを各種競技会のセミファイナリスト以上に導く。その業績が前述の「外食アワード」受賞にもつながった。周囲に聞くと、阪本氏のコーヒーへの探求心、情熱、選手の特性を分析する能力が評価されているようだ。