グローバルの観点から見れば滑稽
今回の発表では、政府が就活のルールづくりを主導するが、ルールを破った企業への罰則規定はない。これまでの経団連の就職協定は紳士協定であったが、今後は政府は経済団体を通じて会員企業にルールを守るよう周知するとしており、事実上「規制を強める」ことになる。政治家と官僚の変化対応意識ゼロの表れである。政府はイノベーションのアクセルを踏むと言いながら、「混乱を避けるため」と称して、変化への適応にブレーキをかけている。
フランス在住の筆者としては、就活のルールを国が主導して決めて強要するとは、まるでお見合いのルールを国が決めて強制するようなもので、完全な社会主義に映る。現在の安倍政権の体質では、国が主導して就活ルールに強制力を持たせる気であろう。筆者は、恐らく2019年に制定される就活ルールの発表時には、ルール順守の圧力の強化、具体的にはお得意の監督官庁による行政指導やルールを遵守しない企業名の公表などを行うのではないかと考える。
今回の国の介入には、安倍首相の面子もあるだろう。安倍首相は2015年に、政府の強い要請と称して、2016年春入社の選考解禁を、4年次の4月から8月に変更させたものの、結果、現場からの大顰蹙を買って1年だけで変更を余儀なくされた。その面子の手前、元の4月に戻すわけにもいかず、4月と8月の間をとって6月の選考解禁としたという、アホのような経緯がある。
安倍首相は繰り返し「学業優先」と言うが、大学教員の立場でいえば、6月面接解禁では4年次の前期はほぼ就活一色となる。4月のほうが就活時期が大学の春休みに重なるので、6月よりもはるかにましである。プライドだけは高い安倍首相だけに、自分がかかわった選考解禁時期については、強制的にでも現行制度を維持したいのが本音であろう。
こうした国が就活ルールを強要する流れは、当然、グローバルの観点から見れば滑稽でしかない。採用や働き方など、あらゆる意味で雇用が多様化・流動化するなかで、もし選考ルールが一律強制の方向に向かえば、日本社会が環境の進化に適応していくのをあきらめて昔の閉じた社会に戻る、いわゆるシーラカンス化していくことになる。