当初は安全性や騒音だけが解決すべきテーマだったが、もうひとつ厄介な問題が浮上してきた。それが米国との交渉である。
首都圏の上空には、在日米軍が管制権を持つ空域(いわゆる横田空域)が存在している。この空域は、横田基地を中心に、東京や神奈川、さらには新潟にいたるまでの広い範囲に及んでおり、民間の航空機は大きな制約を受ける。
横田空域を民間機が通過することは可能だが、事前にフライトプラン(飛行計画書)を提出する必要がある。多数の定期便が毎日この空域を使うというのは現実的ではなく、一部の便を除いて定期便はこの空域を使っていない。羽田の新ルートは、横田空域の一部と重複しており、このルートを民間機が継続的に利用するには、米国との調整が不可欠となる。
当初、交渉は順調に進むと思われていたが、10月に入って、米側が難色を示していることが明らかとなった。米国側が本当に空域を開放する意図がないのか、別の条件を引き出すための、いわゆるパッケージディールを目的とした交渉なのは不明だが、前者だった場合には、羽田の新ルートそのものが頓挫してしまう可能性があった。
場当たり的な対応が根本的な原因?
最終的には米側が妥協することで羽田増便が実現できる見通しとなったが、そもそも羽田増便をめぐるドタバタ劇は、戦略なき日本の航空行政がもたらした結果といってよい。
首都圏の国際空港はもともと羽田空港だったが、1978年の成田開港以後、国内線は羽田、国際線は成田という役割分担が行われてきた。
この流れを変えるきっかけのとなったのは、2000年代の前半に議論された羽田ハブ空港化構想である。ハブ空港とは航空路線ネットワークの中心となる空港のことを指している。韓国やシンガポールなど新興国が空港整備に巨額の投資を行っていることを受けて、日本でも空港のハブ化が必要という議論が巻き起こった。
本来であれば先進国はこのような方法で国際線を誘致する必要はまったくないはずだが、国力低下が著しかった日本にとっては、途上国型戦略を採用することも、やむを得ない選択だったのかもしれない。
だが、もし羽田を本当の意味でハブ空港化するためには、小規模な拡張ではまったく意味がない。シンガポールのチャンギ国際空港や韓国のインチョン国際空港の規模を考えると、国内線を含む羽田の発着枠をすべて国際線に回すくらいの措置が必要である。
しかし、議論はなぜか羽田を国際化すれば問題は解決するという矮小化された話にスリ替わり、発着枠の大幅な拡大という議論はどこかに消え去ってしまった。羽田の発着枠が根本的に足りないことがわかっていながら、成田から羽田へのシフトを強引に進めた結果、デルタ航空など多くの海外エアラインは十分な枠が確保できず、日本から事実上、撤退してしまった。
今頃になって羽田発着枠の限界が懸念され、横田空域を通過したあげくに都心上空で降下するという、かなり無理のあるルートを新設せざるを得なくなった(横田空域の存在が不当であったとしても、米側との交渉が難航することは政府がもっともよく理解していたはずだ)。
羽田増便が実現しても、増やすことができる羽田の発着枠はわずか4万回である。羽田と成田を合わせた国際線の発着回数は29万回、チャンギ国際空港は1つの空港だけで37万回の発着回数がある(しかもシンガポールは人口わずか600万人の小国である)。
今回の新ルート策定については、増便を実現したということで終わりとせず、なんのための発着枠拡大なのか、今後の航空戦略はどうあるべきなのか、もう一度、腰を据えて議論したほうがよいだろう。「オリンピックだから」という思考停止は、何も生み出さない。
(文=加谷珪一/経済評論家)