「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画や著作も多数あるジャーナリスト・経営コンサルタントの高井尚之氏が、経営側だけでなく、商品の製作現場レベルの視点を織り交ぜて人気商品の裏側を解説する。
10月21日、都内で「コーヒーアンバサダーカップ」と呼ばれる社内イベントが開催された。
日本国内に1655店(2021年6月末現在)を展開する「スターバックス」(運営会社はスターバックスコーヒージャパン株式会社)で働くバリスタ(コーヒー職人)の代表者が、コーヒーの知識・技術・情熱を競う国内選手権だ。2001年に世界に先がけて日本でスタートし、今回で17回目の開催だった。
当日は予選を勝ち抜いたファイナリスト4名がその技を競い、プレゼンテーションを行った。国内における従業員(同社はパートナーと呼ぶ)は約4万人おり、その代表だ。4人のなかには正社員もいればアルバイトもおり、立場にかかわらず公平に評価・選出される。
当日の開演は午前11時30分、休憩をはさみ終了は午後の15時30分という長丁場。代表取締役CEO(最高経営責任者)の水口貴文氏をはじめ各部門の責任者が審査員を務めた。
なぜ、ここまで力を入れるのか。大会の横顔を紹介しつつ、同社の人材育成を考えたい。
女性3人、男性1人で頂点を競い合った
ファイナリスト4名は次の人たちだ。
望月芳美さん(東日本リージョン 南東京エリア)、斉藤有加さん(中日本リージョン西東京・西埼玉エリア)、緒方拓郎さん(西日本リージョン 南近畿エリア)、川地希瑛子さん(ロースタリー代表 Arriviamo)という女性3人、男性1人。中目黒にある「ロースタリー」(スターバックス リザーブ ロースタリー東京)施設内からも選出された。
出場者は普段は国内各店舗で勤務し、川地さんはロースタリー施設内にあるバーで働くバーテンダーだ。一般に店舗スタッフの多くは「グリーンエプロン」(緑色のエプロン)を着用するが、年に1度、コーヒーに関する幅広い知識、コーヒー豆の特徴などを問う試験を実施し、合格者に与えられる「ブラックエプロン」で接客するスタッフもいる。各リージョンの予選参加者はブラックエプロン保持者で、ファイナリストはそれを勝ち抜いた代表だ。
今回はプレゼンテーション内容が2つあった。ひとつは実際の接客をイメージして行う「リテイルサービス」。もうひとつはドリンクの完成度を競う「バリスタクラフト」だ。ラテアートやオリジナルコーヒーの創造性から完成度を審査された。
審査の結果、優勝して「第17代コーヒーアンバサダー」となったのは望月さん。審査員からは抽出技術などに加えて「自然体の柔らかい雰囲気」も評価された。
優勝賞金はないが、コーヒー染めの茶色の「アンバサダーエプロン」が授与された。望月さんは今後2年間、社内外でコーヒーの啓発活動を行う。
優勝者は「環境への思い」も強い女性
「長丁場でしたが、自分としてはやり切ったと思います」
優勝決定時に感動の涙を流した望月さんは、こう話す。2014年に新卒でスターバックスに入社した社員バリスタだ。大学は環境学部で、同社を選んだ理由は「みんなが生き生きと働き、環境保全など会社として社会に良いことを行う」姿勢だったという。
東京の下町出身だが、入社後は都内の恵比寿や麻布十番といった山の手の店舗勤務を中心に接客経験を積み上げた。今回の参加にあたり、苦労した点はなんだったのだろう。
「お店の業務との両立ですね。業務終了後にラテアートの練習を続けたり、オリジナルコーヒーの企画開発をしたり。大会と同じ設備を使いたい時はサポートセンター(本社)にも出向きました。知識も技の習得も時間が足りないぐらいでした」
本戦で「やり切った」のは、「それまで何百時間も準備してきたので、あともう少しの時間、自分を出し切ろうと思ったからです」と笑顔で話す。
「祖母が下町で小売店を営んでいた」と話す望月さん。それもあって「昔ながらの良さを守っていきたい、人間のエゴをなくしたい」という思いが高まった。自分の強みを「温和で、良い意味で楽観的でいられること」と自己分析し、店舗勤務で経験値を上げ、「ゆくゆくはサポートセンターで環境関連の施策を推進する部署で働きたい」と、目標も明快だった。
コロナ禍で「1200店を一斉休業」もあった
審査員を務めた経営陣・幹部の講評にも耳を傾けた。印象的だったのは、何人かが昨年行った「1200店の一斉休業」に触れたことだ。「最初に店を閉めるのはすごく怖くて、営業からも抵抗感がありました」と明かす幹部もいた。
新型コロナウイルスの感染拡大防止策として、政府が国内の7都府県(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、大阪府、兵庫県、福岡県)を対象に「緊急事態」を宣言したのは、2020年4月7日夕方だ。それを受けてスターバックスは翌8日、「4月9日から当面の間」として、上記都府県の店舗の休業を発表した。その後も緊急事態宣言が繰り返し発令され、対象都道府県が拡大したのはご存じのとおり。最終的に1200店一斉休業にも及んだ。
一方、そんな年でも国内約100店を新規オープンさせた。緊急事態宣言が解除されて店を再開する喜び、新規開業できた喜び。お客から寄せられた「(再開や開業を)待っていました」という声にも後押しされ、実店舗を運営できるありがたさを痛感したことだろう。
直営店率9割超、バリスタ育成は急務
2020年に続き、今年も約100店の新規オープンを計画する同社は、1650店を超える店舗数のうち9割超が直営店だ。FC(フランチャイズチェーン)店が少なく大半が直営店だからこそ、コーヒーの知識や抽出・提供技術の高い従業員を自社で育成しなければならない。利用客にとっては、接客相手が社員かバイトかは関係ない。
だからこそ、チェーン店数を維持・拡大するために、コーヒーの品質や接客レベルを支えるバリスタの強化に力を注ぐ。アルバイトの研修期間も競合より長い。社内では「高いレベルでのコーヒーエデュケーション(教育・育成)の実践」を掲げる。
「コーヒーアンバサダーカップ」はその象徴で、同社における”バリスタ甲子園”なのだ。
スターバックスの従業員は、楽しそうに接客する。国内のさまざまなカフェ・喫茶店を取材してきた筆者も、その意欲の高さには一目置く。実は同社には接客マニュアルがなく、各店舗の責任者や従業員個人が創意工夫してお客と接する。
社内制度は充実するが「他流試合」は……
「この場合にはこうしなさい」といったマニュアルがなければ、自分たちで考える。人材開発の視点では「自律型」の人材育成だ。
「先輩も社員さんも優しかったが、ほかのメンバーはモチベーションが高くテキパキこなす。最初は仕事についていくのが大変」との声もある。仕事に慣れると「コーヒーマスター」「ブラックエプロンチャレンジテスト」など次のステップも準備され、自己啓発もできる。
筆者は人事系の記事も多く手がけたが、企業の採用試験でスタバのバイト学生の評価は高く、卒業しても思い入れは強いようだ。別々の取材現場でスタバの学生バイトだった20代の女性(広告会社勤務の2人)に会ったが「今でも大好きなブランド」と語っていた。
バリスタの話に戻ろう。優勝した望月さんに「JBC(ジャパンバリスタチャンピオンシップ)など社外の競技会への出場意欲は?」を聞いたところ、「チャレンジしたい」との答えだった。コロナ禍でもあり、会社としては「本人の意欲を尊重し、強みを生かしたチャレンジを、できる限りサポートしていく」という姿勢だったが。
僭越ながら思うのは、「他流試合の勧め」だ。何度も取材してきた前述のJBCは、国内の精鋭バリスタが参加する。優勝者は世界大会「WBC(ワールドバリスタチャンピオンシップ)」に出場し、過去には優勝した日本人もいる。スターバックスのアンバサダーカップ優勝者がJBCに参加したこともあるが、残念ながらセミファイナリストに残れなかった。
各業界で活躍する「元スタ」人材にも期待
あえてこうした話を紹介したのは、人事系の企画で取材すると、「大企業出身者は定年後に使えない」という声をよく聞くからだ。どんなに優良企業とされる大企業でも「ここまでは自分の担当、ここからはほかの人が担当」という姿勢になってしまう。そうしないと業務が回らない一面もあるが、「総務だろうが営業だろうが、なんでもこなす」という中小企業出身者のほうが総じてつぶしがきく。
近年は大企業の人材育成も進化しており、「自社だけでなく市場価値の高まる人材にするための研修制度」も多い。それでも在職中から率先して副業などを行い「世の中の風」を浴びてきた人のほうが、応用度は高いと感じる。
スターバックスが掲げる「Best Place to Work」(最高の職場)がさらに進化し、卒業後も活躍できるような人材育成を期待したい。同社出身の人材が「元スタ」などと呼ばれ、さまざまな世界で活躍すると、さらにブランド力が高まるのではないだろうか。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)