LIXILは“オーナーもどき”潮田氏と決別すべき…居住する外国へ本社移転画策の愚かさ
LIXILグループ(以下、LIXIL)では6月末の株主総会を前に、取締役候補案が2つ提案される事態となり、世の耳目を集めている。私は、瀬戸欣哉氏を実質解任して自らがCEOに復帰した潮田洋一郎氏が行使していた「オーナーもどき」のクビキから、LIXILが解放されるためにも、瀬戸内閣が再組織されることが同社にとってはよいことだと考えている。
前回記事では、株主総会を前にしてCEOを辞任した潮田氏の「3つの問題点」のうち2つを指摘した。本記事はその3つ目から始まる。
プロ経営者を道具扱いするな
日本GE会長だった藤森義明氏と、瀬戸氏のCEO招聘は、趣味人である潮田氏にとっては、茶道の名茶器をコレクションするような感覚だったのではないだろうか。世間で名器として評価されているお道具(名経営者)を自らのものとし、それをみせびらかして自慢する。名前だけが重要で、その実質的な機能には頓着しない。そもそも茶器の場合なら、あまり使いもしないだろう。
だから招聘した両氏がCEO経営者として実際に機能するようになると、それは潮田氏が要望したこととは外れたことだったのではないか。潮田氏はその都度「路線の違いがあった」と説明していたが、実際には連れてきたスターたちがパペット(操り人形)ではなかったということへの“趣味人の対応”として理解できる。
しかし、招請され短期で解任された2人にとっては、たまったものではない。プロ経営者は、預かった会社の業績伸長や回復に命を削って取り組むものだ。そして、幸いに実績を出すことができると、それをトラック・レコードとして次の活躍の場を求めていく。
それが経営の不調ということでもなく、あるいは経営路線の乖離という真摯な議論の結末でもなく、オーナーもどきの気まぐれから更迭され、そのトラック・レコードに理由なく傷を付けられていく――。藤森氏と瀬戸氏に起きたのは、そのような不条理といってよいハプニングだった。経営人材として世に希少な2人のプロ経営者をないがしろに扱い、リスペクトを示していない潮田氏を支持するわけにはいかない。
潮田氏のLIXIL経営への関心度が、同氏にとってほかの文化的趣味と同程度のものだったとしたら、6万人を超す同社の従業員の不幸は大きなものがあったといわざるを得ない。