そこで今回は、10月に『ヘッドハンターはあなたのどこを見ているのか』を上梓した、大手ヘッドハンティング会社・サーチファームジャパン社長の武元康明氏に、
「知られざるヘッドハンティングの世界、業界の実情とは?」
「ヘッドハンターは、どのようにして優秀な人材を発掘・調査しているのか?」
「ヘッドハンティングされるのは、どのような人材なのか?」
「今後、企業や社会に求められる人材・スキルとは?」
などについて聞いた。
–まず御社の概要をお聞かせください。
武元康明氏(以下、武元) サーチファームジャパンは、大手総合商社系の人材ビジネス企業から、人材サーチ事業の営業権を譲り受けて2003年10月1日に設立しました。当時は、10名に満たない会社でした。時はバブル崩壊後の雇用形態が変わりつつある頃で、人材の流動化を高めていく時期でした。今では、多岐の業界にわたり、多くの企業と取引をさせていただいています。弊社の顧客企業は、上場企業もしくは大企業が2~3割で、残りが中小企業です。
「35歳転職終了説」のようなものが世の中ではありますが、それは転職という顕在化市場で求人情報など、企業としても表立って情報を出せる範囲の求人です。ところが、企業の戦略に関わるような案件は、いつの時代においても水面下で動いていましたので、我々のヘッドハンティング対象となる世代のボリュームゾーンは、40歳から50歳代半ばとなっています。
従業員は現在、グループ総勢約70名おります。その中で、いわゆるヘッドハンターとして国内外を飛び回っているメンバーは30名強。そして、そのヘッドハンターをアシストするリサーチャーがおり、間接部門、管理機能に数名おります。
–武元様のプロフィールも、お聞かせいただけますか?
武元 私は最初に大手航空会社系列の開発および運営をする会社に入社しその後、航空会社へと転職をしました。
航空の世界は、単なる一営業が新プロジェクトなどを企画・提案しても実現しない領域でしたので、私としては自分で企画を考えて、そして行動し、結果を検証していくという、そういうビジネスの中において自己成長を図っていきたいという気持ちが芽生えてきたのです。
そのような時に紹介されたのが、この業界です。私の恩師・恩人でもあり、今の会社の創業者でもあるのですが、その人物との出会いによってこの業界に入りました。
–ご自身の転職経験が、ヘッドハンティングにも生きていますか?
武元 自分の経験がすべて生きていますね。接点を持っていく候補者あるいは企業に対して、どういう点に留意しながらマッチングをすればウィン・ウィンの関係になれるのか、そこを考えていく基準のようなものは、自分の転職の中から学びました。
●ヘッドハンティング業界の実情
–いつの時代もヘッドハンターは水面下で動いていたとおっしゃっていましたが、いつ頃からヘッドハンティングは行われていたのでしょうか?
武元 世界では1920年代後半の世界恐慌後に、このビジネスが生まれたといわれています。そして、日本に上陸したのが70年前後。時代としては、外資系企業の日本進出が盛んになってきた頃です。当時は日本もまだ終身雇用の時代ですから、人材の流動が極めて少ない中、外資系企業がいかに日本で、日本法人の設立において優秀なスタッフを獲得するのかという課題を抱いていました。そこで、ヘッドハンティングが生まれてきたといわれています。
その後、バブル崩壊によって日本型経営の破綻、それによる終身雇用の崩壊となり、90年代後半から人材の流動化が進むにつれて、このサーチビジネス、ヘッドハンティングビジネスというものが徐々に広がりを見せ、2000年以降、我々のみならず、日系資本のスカウト会社が相次いで設立されました。
–同業の会社というのは、どのくらいあるのでしょうか?
武元 人材ビジネスは、ネットなどに求人・求職情報を登録する登録型と、我々ヘッドハンティングサービスのようなサーチ型、それから派遣とあります。ところが、派遣はちょっと置いておいて、登録型とサーチ型の見分けが、今非常に難しくなっているのです。線引きがあいまいで、サーチ型を標榜している会社は150社ほどありますが、09年に我々がリサーチしてみたところ、サーチ型は個人経営を含めて70社ほどでした。しかし、08年のリーマンショック以降に大きく変化していると思います。その70社の中で、今ヘッドハンティングを専門にやっている会社というのは10社にも満たないと思います。
『ヘッドハンターはあなたのどこを見ているのか』 上司との相性が悪い、派閥闘争に敗れた、部下に背かれた…そんなある日、あなたに毛筆の手紙が届く。「ぜひ会いたい」。ヘッドハンターが、ある企業の依頼を受けてあなたを推薦する候補者に選んだ