駅や空港などで外国人旅行客の姿が目に付くようになった。外国人だけでなく、季節が良くなり、コロナ禍に対する規制緩和などの追い風もあってか、キャリーバッグを引きずる国内観光客の数も明らかに増えている。ホテルマーケット調査会社STRのレポートによれば、23年3月における全国のホテル稼働率は77.6%。前年3月は54.1%であったことと比べれば、23.5%もの大幅な改善である。地域別でも東京81.6%(前年同月53.4%)、京都76.9%(同42.1%)、大阪79.4%(同49.9%)と回復ぶりは鮮明だ。
ホテルの業況をみるとき、稼働率だけを追っかけてはいけない。稼働を確保するために宿泊料を思い切り下げてしまったのでは、収入は増えない。稼働率が80%であっても1万円の定価を7000円に割引していたのなら、稼働率が60%であっても1万円を保っていたほうが収入は多いからだ。
そこで、同レポートで客室平均単価とこれに稼働率を掛け算したRevPAR(1日当たり販売可能客室売上:宿泊平均単価×稼働率)のデータをみると、全国レベルでも数値は2倍以上、東京や京都に至っては約3倍もの増加になっている。この爆上がり現象を支えた背景の一つが、全国旅行支援制度だ。現在の制度は22年10月11日からスタートしたが、今年3月末の期限後も支援は継続されていて、7月以降も31の道県で継続され最長11月30日まで行われる予定だ。この制度は一定の条件のもと1名1泊当たりで旅行代金の20%、最大で5000円(交通付旅行)の割引と地域クーポン券(平日2000円、休日1000円)が付くというものだ。
この制度の導入で全国のホテル旅館は厳しい業況から一息つくことができたといわれているが、最近ではこれにインバウンド需要の復活が加わっている。5月8日からコロナウイルスに関する感染症の分類が2類から5類に引き下げられ、空港での検査などの水際対策が大幅に緩和されたのだ。23年1月から5月までの訪日外国人数は累計で863万人。昨年同期がわずか38万人であるから、なんと22倍以上になったことになる。過去最高水準の訪日外国人数を数えた2019年の同時期は1375万人であったから、約6割の水準にまで需要が回復してきたことになる。街角に外国人観光客の姿が目立つようになった理由が、このデータからもよく読み取れる。
中国人客の戻りが良くない
だが、心配なのがコロナ前には最大の客数を誇った中国の状況である。中国からの訪日客数は23年1月から5月までで38万6100人。19年の同期の365万1814人の1割の水準の状況のままである。特に中国人観光客で潤ってきた大阪は、肝心の中国人客の戻りが良くない分、稼働率や平均宿泊単価で京都や東京の後塵を拝している。
中国人観光客の戻りが悪い理由は、中国政府が日本への団体旅行に制約を課しているためといわれる。コロナ禍後に中国では多くの国への団体旅行を解禁しているが、日本や米国に対してはいまだに認めていない。背景には台湾問題があるとみられ、インバウンドの完全復活を狙うホテル業界にとっては頭痛の種である。
もうひとつホテル業界を悩ませているのが、ビジネス需要の戻りが鈍いことだ。コロナ禍以降、働き方が変化してビジネス出張が減少している。社内などで定期的に催す成績発表会議などのイベントの多くをオンラインで済ませる会社が増えていて、出張料が激減しているのだ。リアルの打ち合わせも重要ではあるものの、これからのビジネスはリアルとオンラインのハイブリッド化が進むと考えられ、これまで通りに需要回復するかは予断を許さない。
受け入れ態勢の問題
インバウンド需要はコロナ禍でもみられたように変化が激しい。コロナ禍のような疫病リスクはこれまでも繰り返し起こっている。新型インフルエンザしかり、SARSしかりである。また台湾問題のような政治リスク、リーマンショックのような経済リスク、地震や台風などの災害リスクなど不安の種は尽きない。
そしてせっかくの需要回復を一部のホテルは指をくわえて見つめているが、受け入れ態勢の問題があるからだ。長く続いたコロナ禍の影響で、従業員の数を絞り込んだのだが、いざ景気が回復して従業員を呼び戻そうにも、すでに他業種などに転職して雇用がままならないのだ。ただでさえ不規則な勤務時間、神経をすり減らす接客業務、少ない報酬でリクルーティングが厳しい業界であったのが、経済の回復にしたがってより良い条件のところに人が流れてしまっているのだ。リネンの交換や客室清掃についても、コロナ禍を契機に高齢従業者が引退し、外国人労働者もコロナ禍で帰国後は円安の日本での労働に魅力を感じない人が増え、いまだに続く入国規制もあいまって、思うようにはならなくなっている。
したがって稼働をもっと増やしたいと思っても、サービス要員が足りずに顧客からの予約を泣く泣くキャンセルしているような事例が頻発しているという。予約しようとして満室だとして断られるケースでも、実際には人員が追い付かず稼働率を100%には持っていけないホテルが多く存在しているのだ。
コロナ禍の期間中に金融機関からコロナ関連融資を調達して延命を続けてきた中小ホテルのなかには、返済が始まった今年あたりから、せっかく回復し始めた需要を横目に廃業や売却を余儀なくされているホテルも出始めている。弱肉強食の世とはいえ、コロナ禍で傷んだホテル業界は、必ずしも手放しで喜んでいるというわけではない。需要回復を見込んで新たなホテル開発に挑もうとする業者にとっても、昨今は建物建設費が急騰した結果、ホテルをオープンしても採算が取れない状況に陥っており、そうした業者が中小ホテルを買収する事例も増えている。しばらく業界ではこうした物件や銘柄の新陳代謝が進み大きく変動することが予想されている。一見すると華やかに見えるホテルの舞台裏にも、厳しい風が吹いているのである。
(文=牧野知弘/オラガ総研代表取締役)