三光汽船は34年8月の設立。63年の海運集約化に参加せず、独立系の”一匹狼”の海運会社として、タンカーをオペレーションする業界最大手の会社になった。三木武夫氏(のち首相)の金庫番を務めた河本敏夫氏(元自民党衆院議員)がオーナーだった三光汽船は、戦後の企業乗っ取りの歴史に名前をとどめる。71年から73年にかけての海運会社ジャパンライン(以下、ジライン、のちのナビックスライン、現・商船三井)の株買い占め事件である。
国会議員として政界に軸足を置いた河本氏に代わって、三光汽船の経営を仕切ったのが経済学博士号をもつ専務の岡庭博氏。岡庭氏は株の仕手戦で名を高め”三光証券”の異名をとった。兜町の寵児に躍り出た岡庭氏が、乗っ取りを仕掛けたのがジラインだ。
ジラインは乗っ取りに対抗するためには「河本原爆(三光汽船社長の河本)に対するには児玉水爆(戦後最大のフィクサー、児玉誉士夫)しかない」と判断し、児玉氏に助っ人を依頼した。
政官財ルートを使って三光汽船を追い込んでいった児玉氏が、詰めの段階で使者に立てたのが百貨店そごう社長の水島廣雄氏。岡庭氏と水島氏は同じ日本興業銀行(現・みずほコーポレート銀行)から実業界に転じた経歴もあり、親しかった。河本=岡庭との和解を取り付けた水島氏に、児玉氏が謝礼として20カラット、時価1億円のダイヤモンドの指輪を贈ったという逸話が残る。戦後の怪物たちが競演したのが三光汽船によるジラインの乗っ取り事件だった。
現在の三光汽船にそんな生臭い人脈はない。破綻はきわめて散文的だ。「破綻の要因は、コンテナ船のアジア~欧州航路の運賃暴落です。リーマン・ショック前の07年、海運業界は好況に沸き、コンテナ船を大量に発注した。その頃に発注したコンテナ船が続々と完成して、船が供給過剰になった。これで運賃が前年より3割も落ち込んだ」(海運業界の関係者)
供給過剰にもかかわらず、世界最大の海運会社マースク・ライン(デンマーク)は大量発注を続けた。低価格競争を仕掛けて、一気にシェアを高めるためだ。価格競争で弾き飛ばされたのが三光汽船だ。
そのマースク・ラインも運賃下落の影響をモロに受け、11年7-9月期に赤字に転落した。次に打った手が業界再編だった。マースク・ラインの親会社APモラー・マースク、商船三井など世界の海運5社は今年2月、計画に基づき、超大型原油タンカーの共同運航を始めた。幹事会社が一括して受託して参加している各社に仕事を割り振る。こうすれば運賃の叩き合いが防げるわけだ。