豊崎氏は12年12月29日付「東洋経済オンライン」記事の中で、ファンド支配下の経営について、「さらなる成長を目指す時、オーナー経営の行詰り部分が見えてきた。当時はファンドが持っている戦略策定、財務体質改善、経営改革などのノウハウがスシローに必要だった。それで創業者はユニゾン受入れを止むなしと決断した」と語っている。そして、ペルミラに転売されたことについては、「ペルミラの強みを活かすことで当社の強みを磨きあげるほうが重要だ」「ファンドからの圧力はあったほうが良い。(略)筋肉と同じで負荷をかけないと企業体力が強靭にならない」などと、ファンド支配下の経営を積極的に捉えている。
その一方で、豊崎氏に親しい業界関係者は「将来は自分の店を持って、寿司に明け暮れる日々を夢見ていた。それが成り行きで、こんな大きな会社の社長になってしまった。酢飯の匂いが漂う現場に戻りたいと、独り言のように漏らしたことがある」と打ち明ける。自分を育ててくれた創業者に恩義を感じ、創業者がつくった会社を愚直に守ろうと無我夢中で奮闘している間に、気がつけば自分の夢とは裏腹に業界最大手の経営責任を負わなければならなくなった、豊崎氏の苦衷が察せられる。
同関係者は「豊崎氏は、自分が出しゃばるより周囲を生かすタイプの経営者。本来なら現場叩き上げの自分と肌が合わないはずの、ユニゾン出向や中途採用のキャリア組を使いこなしてきた事実からもうかがえる。いずれにしても、大風呂敷を広げて投資家を煙に巻く器用さはない。そうした資質が、激しい競争の中で派手なアドバルーン打ち上げを望んでいる業界関係者に物足りなさを感じさせ、ひいては経営不安説につながっているのではないか」と指摘する。
スシローは思いがけなく迎えた岐路を、今後どのように乗り越えていくのか、業界の注目が集まっている。
(文=福井晋/フリーライター)