次の小丸成洋(こまる・しげひろ)経営委員長(同08.12~11.1/福山通運社長)は11年、委員職を含めて引責辞任に追い込まれた。任期満了となる福地茂雄会長(同08.11~11.1/アサヒビール元社長)の後任選びで、小丸委員長は慶應義塾大学前塾長の安西祐一郎氏に就任を要請、内諾を得ていたが、これがひっくり返ったのだ。
安西氏のNHK会長就任に反対する内部関係者と思われる筋からのネガティブなリークが相次ぎ、週刊誌やスポーツ紙に怪文書が躍った。「都心に、会長専用の部屋を用意しろと要求した」「会長として交際費はいくらつかえるのか、尋ねた」といったたぐいの、低俗なものだったが、これでNHK経営委員会の安西氏支持の空気が変わった。
会長の任命には委員12人中9人以上の賛同が必要だか、7~8人の委員が「就任要請を撤回すべき」との意見で一致した。安西氏は「経営委員が風評で人物を評価することがわかり、経営委員に対する不信が頂点に達した」と激怒した。
NHK内部では、経営委員長と会長がともに財界出身者であることに対する不満が根強い。福地会長は当時の経営委員長だった古森氏と個人的に親しかったことから、20年ぶりに外部から会長に招聘された。
だから、福地会長の任期満了による交代は、会長のポストをNHK側が奪回する絶好のチャンスである。安西氏にNHK会長になってほしくない人物が流した風評で、内定していた人事が覆され、NHKの伏魔殿ぶりを天下にさらした。
だが、会長人事はNHK側の思惑通りには進まなかった。経営委員は次期会長も外部から起用することで一致。白紙撤回からたった4日後、会長に松本正之・JR東海副会長を任命することで決着した。
主導権を握ったのはJRグループだ。安西氏起用の白紙撤回で、小丸経営委員長は影響力を失った。このため、前経営委員長の古森氏から松本氏の推薦を受けた。古森氏と葛西敬之・JR東海会長は面識があり、JR東海・元社長の須田寛氏はNHKの経営委員長(在任98.6~04.12)を務めていた。経営委員会は石原進委員・JR九州会長が主導して松本氏の起用が決まった。
小丸経営委員長は11年1月、NHK会長人事の混乱の責任を取り辞任。政府は數土文夫氏を経営委員会委員に指名。同年4月、空席になっていた経営委員長に就任した。旧川崎製鉄と旧NKKの合併を実現し、大胆な経営改革を断行した手腕を買ったものだ。ところが、政府が「サムライ」と見込んで、東電の社外取締役に起用したことが裏目に出て數土氏はわずか13カ月で、経営委員長の座を追われた。