スシローの大株主の異動は創業家のお家騒動から始まった。筆頭株主が転々と変わっても、資本の力で経営を支配できなかった点が特異である。CEILは買収後も豊崎社長ら経営陣を続投させる。
スシローは清水義雄・元社長と清水豊・元会長の兄弟が1975年に大阪市阿倍野区でカウンター型立ちずし「鯛すし」を創業したのがルーツ。2人は84年と88年に同名の回転ずしチェーン「すし太郎」を別々に起業。99年8月に義雄氏が豊氏の会社を吸収合併して「あきんどスシロー」に商号を変更。兄・義雄氏が主導する合併に弟・豊氏が不満だったことが対立の火種になったとされる。
お家騒動が勃発するのは07年3月22日。牛丼チェーンすき家を運営するゼンショーが、突如、発行済み株式の27.2%を保有する筆頭株主として登場した。ゼンショーが取得した株式は豊氏とその家族が保有していた分。スシローの経営陣にとっては青天の霹靂(へきれき)だった。豊氏から株式の売却の話が事前にまったくなかっただけではない。株式を取得したのがゼンショーだったからだ。
ゼンショーは3月8日、スシローのライバルである業界首位のかっぱ寿司を運営するカッパ・クリエイトの株式の31.2%を取得したばかりだった(現在カッパ株式は売却)。ゼンショーは回転ずしの業界1位と2位の筆頭株主になったのである。
ゼンショーの小川賢太郎社長は、東大全共闘の闘士として安田講堂の攻防戦を戦った異色の経歴をもつ。00年代に入り各ジャンルの外食チェーンを次々と買収していった。回転ずしに触手を延ばしたのは07年。筆頭株主という資本の力をもって、かっぱ寿司とスシローを傘下に収め、回転ずしで圧倒的なシェアを持つ巨大チェーン作りを目論んだのだ。ゼンショーは自社でも回転ずしチェーン、はま寿司を手がけていた。
「ゼンショーの大連合構想に飲み込まれる」。危機感を抱いたスシローの経営陣は証券会社を頼り、敵対的買収を撃退する“ホワイトナイト(白馬の騎士)”を探し回る。