●深刻な業績不振
全国に大型店「IDC OTSUKA」を展開する大塚家具でお家騒動が勃発したのは、業績が低迷しているからである。2000年代前半までは家具小売りのトップランナーだったが、今日その面影はない。
創業者の勝久氏は1943年、桐タンスの名産地・埼玉県春日部市に生まれた。桐タンス職人の父親の店を子供の頃から手伝って育った。69年に大塚家具センター(現・大塚家具)を設立し、国内最大の規模を誇る有明ショールームなど大型ショールームを展開。大塚家具の黄金時代を築いた立志伝中の人物である。
久美子氏は勝久氏が独立する前年の68年に生まれた。91年に一橋大学経済学部を卒業後、富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)へ入行。94年大塚家具に入社した。いったん広報・IRコンサルティング会社を設立して経営の実務を学んだ。その後、大塚家具に戻り、創業40周年を機に社長の座に就いた。
社長に就いた久美子氏が「コーポレートガバナンスの欠如」を指摘するなど、次々と父の路線を否定したことが父娘の対立の原因とされる。だが、対立の根本原因は業績の低迷にあった。久美子氏が社長に就任して以降、年商500億円台に張り付いたまま、売り上げの伸びはピタリと止まった。この間、同業他社は右肩上がりの成長をたどる。家具チェーン大手ニトリホールディングス(HD)は毎期、増収増益の快進撃を続けた。スウェーデン発祥の世界的な家具小売りIKEAは超大型店を引っ提げて日本に上陸、人気を集めた。
これに対して大塚家具は家具業界4位に沈んだまま。一代で黄金期を築いた勝久氏が、こうした状況に我慢できるはずがなかった。そこで長女を解任して勝久氏は社長に返り咲いたが、それでも業績は持ち直さなかった。14年末に同年12月期の業績について2度目の大幅な下方修正をした。売上高は期初予想の585億円より30億円少ない555億円、営業利益は期初予想では12億円の黒字としていたが、4.9億円の赤字に転落する。
大塚家具の株価は、07年までニトリHDを上回っていた。その後、逆転が始まり、久美子氏の社長時代に大差がついた。15年1月30日現在の時価総額は、ニトリHDが7644億円、対する大塚家具は199億円で、38倍の差がついた。これが大塚家具に対する市場の厳しい評価だ。
3月に開催される予定の株主総会で、どのような経営体制を打ち出すのか。それより先に、勝久会長と久美子社長は一連の騒動について、きちんと説明する義務がある。大塚家具は個人商店ではない。株式を公開している「社会に開かれた会社」なのである。
(文=編集部)
【続報】
大塚家具は2月13日、14年12月期の営業損益が4億200万円の赤字になったと発表した。営業赤字は4年ぶり。大塚久美子社長の解任、そして社長へ復帰。コップの中の嵐といえるような親娘対立で業績が悪化し、赤字転落の憂き目をみる結果となった。
同日、大塚勝久会長が3月の株主総会で会長(取締役)を退任する人事を赤字転落と合わせて発表した。これでお家騒動の幕引きを図るつもりだが、久美子社長に業績回復の妙案があるのか。15年12月期の業績を「未定」としたことに、それは如実に表れている。前途は多難だ。
株高で百貨店などの高額商品の売れ行きは回復してきた。高級家具を扱う大塚家具も、本来であれば高額商品復調の波に乗れていいはずなのに、顧客不在の親娘喧嘩に明け暮れたツケは大きかった。その結果が数字となって跳ね返ってきたのだ。売り上げはピーク時の8割となり、14年4月以降、今年1月まで店舗売上高は9カ月連続で前年比マイナスだ。一度離れた顧客をどのようにして呼び戻すのか。3月の株主総会後の新体制では、2人いる社外取締役を6人に増やし社内取締役より多くする。外部の厳しい目を通して経営全体を見直す必要がありそうだ。