その泰蔵氏が東京大学経済学部在学中の1996年2月に設立した最初の企業がインディゴだった。前年発売のマイクロソフトのOS「ウィンドウズ95」で、インターネットの普及と商業利用が加速し始めるという絶好のチャンスを生かすために、大学卒業後に予定していた起業を在学中に前倒ししている。ヤフー日本語版のプロジェクトを任されたのをはじめ、システム開発、家庭でネットの利用を指導するインストラクター派遣、パソコン教室の企画などが、インディゴの初期の業務内容だった。
当初の資本金1000万円を出資したのは、まだ学生だった本人でも兄の孫正義氏でもなく、事業計画書を読み、泰蔵氏から熱意あるプレゼンを受けてOKを出した父親の知人だった。その人が「起業家・孫泰蔵」の出発を後押ししたエンジェルといえる。
筆者は96年夏に、ある雑誌の「若手起業家特集」で、起業して間もない23歳の泰蔵氏にインタビューしている。その時に泰蔵氏は「僕にとって本当のインキュベーターは、友人が友人を紹介してくれたりして、それまでに築いてきた人脈です」と話していた。まだ大学生でも、公認会計士を目指す友人は経営や会計、司法試験合格を目指す友人は法律問題の相談相手になった。創業すると当初からヤフー日本語版の立ち上げという大きなプロジェクトを任されたが、友人や知人が「泰蔵くんの会社を手伝おう」と手弁当で駆けつけ、徹夜覚悟のきつい仕事にも付き合ってくれたという。決して、ソフトバンクグループから人を借りてきて間に合わせたわけではない。インタビューでの「今の僕は人のネットワークによって支えられています」という言葉は決してポーズではなく、本心から出たものだったのだろう。
96年はネットの商業利用が始まってまだ間もない頃で、今の大手ネット関連企業のほとんどはまだ影も形もなく、「ネットで大儲け」などメディアで伝わる海外発のヨタ話が横行する中、企業もネットをどう活用すればいいか暗中模索の状態だった。しかし、まだソーシャルネットワーキングサービス(SNS)などがない時期に泰蔵氏は、「間にはコンピュータと通信が介在しても、ネットは生身の人間と人間を結びつけるネットワーク」と看破していた。「事実、ネットを通じて海外のすごい才能を持った人たちと出会えて、人脈がどんどん広がっています。この拡大する人脈のネットワークを利用しない手はありません」と話していた。