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健診だけでは見えない損失…米国発「ロンジェビティ福利厚生」は日本の人事を変えるか

2026.10.11 05:55 2026.10.10 19:34 経済
文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=松田美里/社会保険労務士

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●この記事のポイント
健康関連コストの約78%を占めるプレゼンティーイズムと、65歳以上の就業者943万人という現実を背景に、米国で広がる「生物学的年齢」検査などのロンジェビティ福利厚生を解説する。同じ検体でも推定年齢が最大9年ずれる測定精度の課題を示し、GINAや要配慮個人情報を踏まえたデータ管理など、日本企業が導入時に守るべき3原則を提示する。

 スポーツジムの法人割引に、年1回の定期健康診断。日本企業の健康施策の多くは、いまもこの延長線上にある。病気を早く見つけ、早く手当てする。従業員を守る基本であり、軽んじてよいものではない。

 ただ、ここ数年、米国を中心とした企業向け福利厚生の市場で、別の言葉を耳にする機会が増えた。「ロンジェビティ(長寿)」である。血液などから「生物学的年齢」を推定し、生活習慣の改善につなげる。病気になってから対処するのではなく、老化のスピードそのものを管理しようという発想だ。

 この流れは日本の人事に何をもたらし、どこに落とし穴があるのか。公的データと研究の現状をもとに整理してみたい。

●目次

「出社しているのに力を出せない」コスト

 健康経営の議論でよく引用されるのが、東京大学のワーキンググループが経済産業省の事業として行った試算(2016年公表)だ。企業の健康関連総コストのうち、医療費は15.7%、病欠などのアブセンティーイズムは4.4%にとどまった。約78%を占めたのは、出勤していながら体調不良で生産性が落ちる「プレゼンティーイズム」である。

 睡眠はその典型だろう。米ランド研究所は、日本の睡眠不足による経済損失を年間最大1380億ドル、GDP比で約2.9%と推計している。

 もうひとつの背景が、働く期間の長期化だ。総務省によれば、65歳以上の就業者は22年連続で増えて943万人となり、就業者全体の13.8%を占める(2026年9月公表)。高年齢者雇用安定法では、希望者全員の65歳までの雇用確保が2025年4月に経過措置を終え、すべての企業の義務となった。70歳までの就業機会の確保は努力義務で、厚生労働省の2025年集計では実施済みの企業が34.8%と年々増えている。

 なお「65歳・70歳定年の義務化」という言い方を見かけるが、正確ではない。義務とされているのは定年延長に限らない「雇用確保措置」であり、70歳までは努力義務にとどまる。

 雇用の期間が延びても、健康に働ける期間が同じだけ延びるとは限らない。この差を放っておけば、「シニア人材の活躍」は掛け声で終わりかねない。

 人的資本開示との関係も見逃せない。2023年3月期から上場企業などに有価証券報告書での人的資本情報の開示が求められるようになった。経済産業省などが進める「健康経営優良法人2026」の認定は、大規模・中小規模あわせて2万6850法人にのぼる。健康施策を「経費」ではなく「投資」として説明する土台は、すでにできつつある。

「健診の有所見率を下げることは大切ですが、それだけでは現場の生産性は見えてきません。最近は経営層から産業医に『休まず出社している人の、パフォーマンスの中身を知りたい』という相談が増えています。睡眠不足や慢性的な疲労感のように、病名がつかない不調をどう扱うか。そこが次の課題です」(社会保険労務士・松田美里氏)

広がる「生物学的年齢」ビジネス

 生物学的年齢の推定で最も研究が進んでいるのが、DNAメチル化のパターンから年齢を割り出す「エピジェネティック・クロック」だ。2013年に米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のスティーブ・ホーヴァス氏が発表したモデルが知られ、その後、死亡リスクや老化の速度を予測する改良版が次々と開発されてきた。

 米国では、この種の検査を「エグゼクティブ・ヘルス」や長寿関連の福利厚生として企業に売り込む事業者が出てきた。米人事団体SHRMのベンダー一覧にも、医師による結果説明を組み合わせた法人向けのエピジェネティック年齢検査が載っている。業界再編も進み、2026年4月には検査大手TruDiagnosticの親会社が、消費者向け長寿ブランドのTally Healthを買収した。

 サプリメントでは、NMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)をめぐり、米食品医薬品局(FDA)が2025年9月、栄養補助食品への使用を認めないとしていた従来の判断を改めた。ただしこれは流通上の法的な位置づけの話であり、ヒトでの老化抑制効果が確立したことを意味しない。

 高圧酸素療法やクライオセラピー、幹細胞治療をオフィスに導入する、といった話題がSNSなどで語られることもある。しかし、企業の福利厚生として広く普及していることを示す統計は、筆者が確認した範囲では見当たらない。健康な人の若返りやパフォーマンス向上についての科学的根拠も限られる。国内で幹細胞などを用いる治療は再生医療等安全性確保法の規制対象でもあり、話題性と実態は分けて見たほうがいい。

 国内では、もっと地に足のついた取り組みが目立つ。たとえば沖電気工業(OKI)グループは、従業員の睡眠習慣の改善に取り組み、生産性向上につなげた事例を外部の講演などで紹介している。目新しさより、測れて、続けられる施策から始める。日本企業の現在地はこちらに近い。

その数字、どこまで信じてよいか

 気をつけたいのは測定の精度である。米イェール大学などの研究チームが2022年に科学誌「Nature Aging」に発表した研究では、従来型のクロックで同じ血液サンプルを繰り返し測ると、推定年齢が最大で9年ほどずれることがあった。チームはノイズを抑えた改良版を開発し、多くの検査で差を1年未満に縮めたが、食事の前後といった短期的な体の変化で結果が揺れるとの報告もある。米国医師会の倫理誌には2025年、個人の「生物学的年齢」という概念そのものの妥当性を問う論考も掲載された。

「実年齢50歳、生物学的年齢38歳」という結果は、話としては魅力的だ。だが検査会社やモデルが違えば値も変わる。一度の数字で一喜一憂するものではない。同じ手法で継続的に追い、まずは集団の傾向を見る用途から慎重に使うのが現実的だろう。

「エピジェネティック・クロックは研究ツールとしては非常に有用ですが、個人の診断に使える段階には達していません。企業が導入するなら、どのモデルを使っているのか、再現性はどの程度かをベンダーに確認する。それが最低条件です」(医療アナリスト・三好泰一氏)

導入するなら押さえたい3つの原則

 1つ目は、データの線引きだ。 米国では2008年制定の遺伝情報差別禁止法(GINA)が、雇用判断に遺伝情報を使うことを禁じ、企業による取得も任意のウェルネスプログラムなどに限って認めている。日本では2023年成立のゲノム医療推進法が差別への対応を国の施策として掲げたものの、雇用分野での差別を罰則付きで禁じる規定はない。個人情報保護法上の要配慮個人情報の扱いや、厚生労働省の「労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱い指針」に沿った運用が前提になる。検査結果は外部の医療機関などが保管し、会社には個人を特定できない集計値だけが届く仕組みにしておきたい。

 2つ目は、任意性の確保と人事評価からの切り離しだ。 生物学的年齢が若い人に報酬を出す設計は、一見わかりやすい。しかし数値には遺伝的素因や持病など、本人の努力では変えにくい要素も反映される。不公平感や差別の温床になりうる。インセンティブを付けるなら、結果ではなく、睡眠改善プログラムへの参加といった「行動」に付けるほうが筋がよい。選択型の福利厚生(カフェテリアプラン)の一メニューにとどめ、受けない自由も保障したい。

 3つ目は、エビデンスの段階を分けることだ。 睡眠、運動、禁煙、食生活の改善は、効果の裏付けが厚い。新しい検査やサプリメントはその補助として位置づけ、導入前に産業医や外部の専門家の目を通す。この順番を逆にしないことが肝心である。

「健康情報は、本人が同意したからといって何に使ってもよいわけではありません。雇用関係には力の差があり、『任意』が実質的な強制になっていないかが問われます。利用目的を事前に明示し、人事評価や配置には使わないと社内規程に書き込んでおくべきです」(松田氏)

人を「消耗」させない仕組みへ

 ロンジェビティという言葉は新しいが、問われていること自体は古い。従業員が長く、健康に、力を発揮できる状態で働き続けられるようにするには何が必要か、である。

 測定技術はこれからも進むだろう。だからこそ、数字が先走って人を選別する道具にならないよう、ルールを先に決めておく必要がある。

 あなたの会社は、従業員を「何歳まで雇えるか」だけで見ていないだろうか。「何歳まで元気に働けるか」に投資するパートナーになれているだろうか。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=松田美里/社会保険労務士)

【主な参照データ・出典】
経済産業省(2016)「健康経営評価指標の策定・活用事業」東京大学WG報告(健康関連総コストの内訳)/ニッセイ基礎研究所の解説
米ランド研究所の睡眠不足による経済損失推計/野村総合研究所資料
総務省統計局「統計からみた我が国の高齢者」統計トピックスNo.149(2026年9月)
厚生労働省「令和7年 高年齢者雇用状況等報告」(2025年12月公表)/解説記事
「健康経営優良法人2026」認定結果/HRプロ
SHRM Vendor Directory:TruAge Epigenetic Age Testing
Fitt Insider:Infinite EpigeneticsによるTally Health買収(2026年4月)
Venable:FDAのNMNに関する判断(2025年9月)
Yale School of Medicine:エピジェネティック・クロックの再現性研究(Nature Aging, 2022)
Lifespan.io:短期的な体の変化がクロックの結果に与える影響
AMA Journal of Ethics:生物学的年齢検査の倫理的論点(2025年)
米EEOC:GINAとウェルネスプログラム
日本の人事部:OKIグループの睡眠改善の取り組み紹介

BusinessJournal編集部

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公開:2026.10.11 05:55