1泊数十万円でも稼働率は上昇基調… 富裕層は「体験型観光」から「健康最適化リゾート」へ

●この記事のポイント
富裕層の旅行需要が「癒やし消費」から「データに基づく健康最適化」へ移行中。GWIによるとウェルネスツーリズム市場は2029年に1兆3800億ドル規模へ拡大見込み。Aman、Six Senses、Canyon Ranchは1人200万円超のプログラムを展開し、日本は医師法・薬機法対応と医療機関アライアンスが普及の鍵となる。
●目次
- 「コト消費」の次に来る「カラダ最適化消費」
- 1泊数十万円の裏側にある「データ駆動型ホスピタリティ」
- 「単なるスパ」と「ロンジェビティ・トラベル」の決定的な違い
- 日本の観光・宿泊業界が越えるべき「医療連携」と「リーガル」の壁
- 「一過性の観光」から「ライフスタイルインフラ」へ
「コト消費」の次に来る「カラダ最適化消費」
観光・宿泊業界における「ラグジュアリー」の定義が変わりつつある。かつては広い客室やミシュラン星付きレストランがステータスの象徴だったが、いま国内外の富裕層や経営層が重視し始めているのは、「この滞在を通じて、自分の心身のコンディションをどこまで最適化できたか」という視点だ。
米国の非営利団体グローバル・ウェルネス・インスティテュート(GWI)が2025年11月に発表した「2025 Global Wellness Economy Monitor」によると、世界のウェルネス経済全体は2024年時点で6兆8000億ドルに達し、2029年には9兆8000億ドルへ拡大すると予測されている。中でも宿泊・観光に関わる「ウェルネスツーリズム」市場は2024年の8940億ドルから2029年には1兆3800億ドルへ、年平均9.1%の成長が見込まれ、2023年から2024年にかけては前年比13.8%増と、スパや温泉・鉱泉、ウェルネス不動産と並んで特に伸び率の高い分野となった。
日本への関心も高まっている。トリップ・ドットコムとGoogleが2026年上半期にまとめた「Why Travel?」レポートでは、海外からの「日本の温泉」の検索数が前年比20%増、「日本の茶道」が53%増、「スパ体験」に関する検索は140%増と報じられており、癒やしや文化体験を軸にした日本への関心の高さがうかがえる。
こうした大きな潮流の中で、より狭く、かつ急成長している領域が「ロンジェビティ・トラベル(Longevity Travel)」だ。単なる保養やスパ体験ではなく、滞在中に血液検査やバイオマーカー測定などで身体データを可視化し、専門家の関与のもとで睡眠・栄養・運動を個別に設計し直す旅を指す。業界調査では、この狭義のロンジェビティ・トラベル市場は現在19億ドル規模とされ、2030年には26億〜29億ドルへ拡大すると見込まれている。ウェルネスツーリズム全体と比べれば規模はまだ小さいが、成長スピードと客単価の高さから、ホテル業界における次の収益源として注目されている。
1泊数十万円の裏側にある「データ駆動型ホスピタリティ」
この領域を牽引しているのが、Aman、Six Senses、Canyon Ranchといった海外の高級ホテル・リゾートグループだ。
Six Sensesはトルコのカプランカヤをはじめとする複数のリゾートで「ロンジェビティ・プログラム」を展開する。滞在初日にTechnogymの高精度な体組成・体力測定や肌分析を実施し、パーソナルトレーニング、ピラティス、瞑想、呼吸法(プラナヤマ)などをプログラム化。食事もフルボードのウェルネス食で統一する。料金は1人あたり3泊2610ユーロ(宿泊費別)からとされ、7泊プログラムでは4055ユーロに達する。
Amanは2025年、テニス選手のノバク・ジョコビッチ氏と提携し、「ロンジェビティ・パスウェイズ」と名付けたヘルススパンプログラムを発表した。インドのアマンバグ、米ユタ州のアマンギリ、東京、タークス・カイコス諸島のアマンヤラ、ニューヨーク、バンコクのアマン・ナイ・レート、プーケットのアマンプリという世界7施設で、当初はデトックスを中心としたプログラムを展開する。価格や測定項目などの詳細は現時点で公表されていないが、著名アスリートを起用した本格的な健康寿命プログラムを複数拠点で同時展開する動き自体が、業界の関心の高さを象徴している。
さらに踏み込んだ事例が、米アリゾナ州にあるCanyon Ranch Tucsonの「LONGEVITY8」だ。4日間のプログラムで料金は1人2万ドル(カップルは3万6000ドル)。循環器科医、内分泌科医、運動生理学者、栄養士、睡眠専門医など多職種のチームが、滞在中に18回の個別面談と200項目以上のバイオマーカー分析を実施し、単純計算で1日あたり4〜5回の専門家セッションを受ける計算になる。
これらの事例に共通するのは、収益構造そのものの転換だ。従来の「1泊いくら」の宿泊単体モデルから、数日から数週間単位の「滞在型ヘルスプログラム」を数十万円〜数百万円規模で販売するモデルへの移行が進んでおり、顧客一人当たりの単価と滞在日数の両方を押し上げる効果が期待されている。
「単なるスパ」と「ロンジェビティ・トラベル」の決定的な違い
日本の温泉旅館やリゾートスパは、長い歴史の中で「癒やし」「非日常」を提供する技術を磨いてきた。一方でロンジェビティ・トラベルが提供する価値は、これとは性質が異なる。
従来型のスパ・温泉が主観的な満足感、すなわち「気持ちよかった」「リフレッシュできた」という体験価値を軸にしているのに対し、ロンジェビティ・トラベルは客観的なデータに基づく「身体状態の可視化」と、滞在後も再現可能な「行動変容プログラム」の提供を軸にする。滞在前後で睡眠の質やストレス指標がどう変化したかを数値で示し、帰宅後の生活にも応用できる形で行動計画を渡す、という設計だ。
この違いは、顧客体験の評価軸にも影響する。「旅から帰った後も、仕事や生活のパフォーマンスが上がった」という実感を提供できれば、それは価格の妥当性を裏付ける材料になり、リピート利用や口コミによる送客にもつながりやすい。裏を返せば、データや行動計画が伴わない「体験だけのウェルネス」は、今後この価格帯の競争では差別化が難しくなっていく可能性がある。
観光政策アナリストの湯浅郁夫氏は、次のように指摘する。
「日本の旅館やホテルは、癒やしのコンテンツそのものには恵まれている。温泉の泉質、四季の食材、静けさといった資源は世界的に見ても競争力が高い。ただ、それを客観的なデータとして可視化し、顧客に『価値』として提示するソフトウェアやプログラム設計の部分では、海外の先行事例に後れを取っているのが実情だ。単発の設備投資ではなく、医療機関やヘルスケアIT企業とのアライアンスをどう組み立てるかが、今後の競争力を左右するだろう」
日本の観光・宿泊業界が越えるべき「医療連携」と「リーガル」の壁
日本でこのモデルを本格展開する上では、実務上・法律上のハードルも小さくない。
第一に、医師法上の「医行為」該当性の問題がある。医師法17条は、医師でなければ「医業」を行ってはならないと定めており、何が医行為に当たるかは最高裁判例上「社会通念に照らして、医療及び保健指導に属する行為であるかどうか」で判断されるとされる。ホテルのスタッフやコンシェルジュが、宿泊客のウェアラブル端末のデータをもとに病状を推測するような助言を行えば、医行為に該当するおそれがある。専門家の見解では、統計データとの比較や一般的な情報提供にとどめ、個別の病状に踏み込む判断は提携クリニックの医師に委ねる、という役割分担の設計が実務上のポイントとされる。
第二に、景品表示法・薬機法上の表現規制だ。「若返る」「病気が予防できる」といった効能・効果を保証するような表現は、化粧品や健康食品の広告と同様に規制対象となり得る。ロンジェビティ・トラベルのプログラムを訴求する際は、測定データの可視化やプロセスの快適性、専門家による伴走といった、事実に即した表現にとどめるコンプライアンス設計が求められる。
第三に、単独のホテル・旅館では、高額な検査機器や専門人材を自前で抱えることは難しいという現実的な制約がある。ここで鍵になるのが、地域の大学病院や予防医療クリニック、ヘルスケアテック企業との「B2Bアライアンス」だ。象徴的な動きとして、カプセルホテルチェーンのナインアワーズは2025年7月、名鉄都市開発、名古屋大学医学部附属病院と提携し、睡眠データを軸にした予防医療連携型の宿泊施設を名古屋・栄エリアに2026年春をめどに開業すると発表した。大学病院との提携による宿泊施設は全国初とされ、良質な睡眠環境の提供を通じた予防医療への貢献や、他の医療機関・研究機関との連携拡大を掲げている。単独では難しい医療的な裏付けを、地域の医療インフラとの連携によって補う「地域一体型ウェルネス・コミュニティ」のモデルケースとして注目される。
日本の富裕層旅行者に対する意識調査(SO.WAコンサルタンシーが2024年5〜6月に、訪日経験または訪日検討中の米国・中国・インドネシアの富裕層190人を対象に実施)でも、8割が日本ならではの「Jウェルネス」体験に期待を寄せ、旅行計画における重要度を「高い」「とても高い」と答えた割合は85.3%に上る。一方で訪日経験者の7割以上が「他地域と比べてコンテンツやサービスが不足している」と感じているとの結果も出ており、半数以上が訪日旅行中のウェルネス関連支出に15万円以上を見込んでいる。需要と供給のギャップをどう埋めるかが、今後のポイントになりそうだ。
「一過性の観光」から「ライフスタイルインフラ」へ
ロンジェビティ・トラベルの潮流は、一時的な富裕層向けトレンドにとどまらない可能性がある。滞在日数の長期化と客単価の向上を同時に実現できるビジネスモデルであることから、地方創生やインバウンド消費の質的転換の鍵を握るテーマとしても位置づけられる。
「どこに泊まるか」が「自分のコンディションをどう維持するか」と同義になっていく時代において、日本が持つ豊富な温泉・食文化・自然環境という資源に、エビデンスに基づくデータ管理の仕組みを掛け合わせることができれば、海外の先行事例とは異なる、日本ならではのロンジェビティ・トラベル市場が成立する余地は十分にある。ただしそれは、単独の宿泊施設の努力だけで実現するものではなく、医療機関やヘルスケア企業を巻き込んだ地域単位でのアライアンス構築と、医師法・薬機法・景品表示法を踏まえた着実なコンプライアンス設計があってこそ現実味を帯びる。今後、この分野でどの地域・どの事業者が先行事例をつくり出すかが、日本の観光産業の次の成長軌道を占う一つの指標になりそうだ。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=湯浅郁夫/観光政策アナリスト)
【主な参照データ・出典】
Global Wellness Institute「2025 Global Wellness Economy Monitor」(2025年11月19日発表)
トラベルボイス「世界のウェルネスツーリズム市場規模、2029年には223兆円に」(2026年6月22日、Trip.com・Google「Why Travel?」レポートを引用)
TTG Asia「The longevity traveller: Travel’s hidden growth engine」(2026年5月)
Six Senses公式サイト(Kaplankaya、ロンジェビティプログラム価格表)
Globetrender「Aman Launches Healthspan Retreats with Novak Djokovic」(2025年5月)
Canyon Ranch Tucson公式サイトおよび関連報道(LONGEVITY8プログラム)
やまとごころ.jp「富裕層旅行者のウェルネスへのニーズ調査」(SO.WAコンサルタンシー、2024年5〜6月実施)
ナインアワーズ・名鉄都市開発・名古屋大学医学部附属病院 共同プレスリリース(2025年7月15日)
牛島総合法律事務所「新しいヘルスケアビジネスを検討するにあたっての留意点-①医行為該当性-」











