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首切りで難を逃れようとする資生堂の無責任体制が露呈

資生堂、中国事業の失速で業績不振 ネット通販主導の社長は2年でクビと大混乱

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 化粧人口が急激に増えた高度成長時代には、このビジネスモデルは比類なき力を発揮した。日本全国に花椿と唐草模様の看板を掲げた販売網を築くことで業績を伸ばした。専門店チェーンと百貨店の化粧品売り場を2本柱に、トップメーカーとしての地位を不動のものにした。

●資生堂を支えたチェーンストア制

 しかし、その成功体験があまりに大きすぎたために、流通機構の激変に即応できなかった。97年に、販売店に定価販売を順守させる再販制度が全廃されたことから、化粧品の価格競争が激化した。ここ10年間は低価格商品を多く取り扱うドラッグストアが、化粧品&トイレタリー(洗面用具など)製品の販売チャンネルの主流になった。

 調査会社の富士経済によると12年(暦年)の国内化粧品売上高は、前年比ほぼ横ばいの2兆2769億円。ピーク時の07年(2兆3423億円)を654億円も下回った。販売チャンネル別ではドラッグストアが6517億円で国内市場の28%を占めた。ネット通販の普及で通信販売は3089億円で化粧品市場の13%を占めるまでになった。ドクターシーラボなど、通販に軸足を置く化粧品メーカーの伸びが著しい。

 流通網の激変に伴い、資生堂の国内売り上げに占める専門店の比率は、90年代の40%超えから25%程度にまで縮んだ。専門店は経営者の高齢化や地域商店街の衰退に加え、若い女性に受け入れられないという深刻な悩みを抱えている。若い女性から資生堂の商品は「おばさんブランド」と酷評されている。

 経営陣は手をこまねいていたわけではない。創業者の孫の福原義春氏(社長在任87~97年、現・相談役)は10年間社長をやり、97年に弦間明氏(同97~01年)に社長の座を譲った。再販制度全廃の影響が大きいことに危機感を抱いた福原氏は、01年に池田守男氏(同01~05年)を社長に起用した。ここから資生堂の大改革が始まる。

 池田氏は、牧師になるため東京神学大学神学部で学んだ、異色の経歴の持ち主。歴代5人の社長に秘書や総務の責任者として仕え、経営中枢を歩いてきた。福原社長時代の後半に取締役秘書室長となり、側近として重きをなした。

 池田氏はチェーン店のテコ入れ策を打ち出した。当時、チェーン店は全国に2万5000店あったが、レジ一体型の販売時点情報管理(POS)端末を導入した。横並びだったリベート制を見直し、売り上げに応じて差がつくようにした。他の業界ではとうの昔に取り入れている競争原理に基づく区分だが、資生堂の歴史では画期的なことだった。

 池田氏は社長退任後、キリスト教系の東洋英和女学院の理事長・院長となり、聖職者になるという、若い頃の思いを果たした。

 池田氏が後継として起用したのが前田新造氏(同05~11年)。副社長、専務、常務14人を飛び越えて平取締役からの大抜擢で、まさにサプライズ人事だった。前田氏は経営企画室長として、池田改革の参謀役を務めた。まさに、前田氏は池田改革の第2走者としてバトンを託された。

 前田氏は中国市場にシフトした。彼が社長に就任してから、中国での事業は年率20~30%の勢いで伸びた。12年3月期に全売上高の13%に当たる891億円を中国での売り上げが占め、地域別では日本、米州に次ぐ規模となった。中国市場はドル箱となった。

BusinessJournal編集部

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