この発表に触れて、「やはり、想定通り世襲か」と思った人は多かったのではないだろうか。しかし、創業家の鈴木家にとっては「異変」といえよう。なぜなら、1920年に設立されたスズキは2代目以降、修氏に至るまで、代々娘婿がトップを務めてきた企業であるからだ。幸せなことに娘婿は皆優秀だった。
「娘婿がこの会社をだめにした、と後ろ指をさされたくない一心で、これまでがんばってきた」
修氏は常々こう話していた。この負けん気が良い意味でのプレッシャーとなり、スズキを軽自動車大手から、急成長中のインド四輪自動車市場でトップシェアを占め、欧州でも躍進する世界的な小型車メーカーへ脱皮させる原動力にもなったといえよう。このような思いは、修氏だけでなく、歴代の娘婿社長が持っていたのではないだろうか。つまり、「娘婿の意地」は、ファミリービジネス・スズキの企業文化として定着していた感がある。表層の競争力がダイハツと常にトップ争いをしている軽自動車であるとすれば、深層の競争力は「娘婿の意地」といえよう。
想定外のリスク
修氏に限らず、優秀な娘婿が会社を大きく成長させた事例は少なくない。京都の商家では、娘が生まれると父親は大変喜ぶ、といわれている。長男に跡継ぎを限定すれば、選択肢が狭まる。万が一、放蕩息子ではなくても経営者としての資質に欠ける者が継承すれば、「売家と唐様で書く三代目」にもなりかねない。その点、娘婿を後継者に据えようとすれば、世襲を維持しながら選択肢は一挙に広がる。
一口に世襲といっても、日本と中国、韓国では大きな違いがある。中国、韓国が血のつながりを重んじるのに対して、日本は家の持続的発展を優先し、必ずしも血縁でなくてもよいと考える。その結果、娘婿という制度が必然的に生まれたのである。
とはいえ、娘婿にも想定外のリスクはある。スズキでは、次期社長に就任すると目されていた娘婿の小野浩孝取締役専務役員が2007年12月12日、膵臓がんのため52歳の若さで急逝した。その10年以上前から同社の後継者問題が注目されていたが、鈴木は85歳になった今も「俺は中小企業の親父」と言い放ち、現場を回り檄を飛ばす強烈なリーダーシップを発揮し続けてきた。