俳優・生田斗真さんが主演し、『かもめ食堂』(メディアスーツ)の荻上直子監督が手がけた『彼らが本気で編むときは、』(スールキートス)。
2月25日から公開されたこの映画で、生田さんは性同一性障害の役を演じているが、今から約1年前の昨年3月20日、GID(性同一性障害)学会が東京都内で開催した総会で、初の「性同一性障害」認定医を9名決定したことを発表した。今後5年間で、50人程度の認定医を育成し、専門的な医療提供ができる機関を増やしていくという。
性別適合手術やホルモン療法など、性同一性障害の人が必要とする医療ケアは、現在はすべて保険適用外で、全額自己負担となっているが、GID学会は将来的には保険適用をめざし、各方面に働きかけていくそうだ。
世の中に、さまざまな「性別違和」が存在するなかで、性同一性障害についての統一見解はまだ確固としていない。もちろん、診断や治療のガイドライン(日本精神神経学会による)はあるが、臨床の現場で確定診断を下すのは大変難しく、慎重を期する。
さらに、適切な医療ケアを提供できる病院は、かなり限られている。一般社会においては、人々の偏見も伴い、医療者以上に理解や受け皿が進まないのが実情だ。
生田斗真が性同一性障害者の役を演じる
奇しくもGID学会の発表日に、今回の映画『彼らが本気で編むときは、』で、俳優・生田斗真さんが性同一性障害者の役を演じることがわかった。
生田さん演じるリンコは、小さい頃から自分が女の子だと思っており、実生活のなかでさまざまな葛藤はありつつ、家族の理解を得ながら成長し、のちに性別適合手術を受け、恋人の男性と同棲している設定だ。性同一性障害者の人生としては、理想的なストーリーだ。
性同一性障害者の苦しみは、単に性の不一致にとどまらない。家族や社会の無理解、パートナーとの問題、そしてカミングアウトできるコミュニティの少なさなど、彼らを取り巻く人間関係に大いに苦しめられる。
さらに、自分の生き方を選択するときに必要な医療ケアが、全額自己負担とあって、経済的負担にも苦しめられる。今回のGID学会の決定は、一筋の光明といえるだろう。
性同一性障害者にとって切実なアイデンティティの問題
さて、性同一性障害者にとって、医療的見地も大切だが、アイデンティティの問題はさらに切実だ。LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)と、多様な性的マイノリティが存在するなかで、「自分はいったい何者か?」という自己を確立する道のりは、筆舌に尽くしがたい。
性同一性障害は、多様な意味を持つトランスジェンダーとして括られることが多い。もちろん、トランスジェンダーとは結びつけないという異議もあり、トランスセクシュアル(性別適合手術を実行または希望する人)との兼ね合いもある。気持ちの整理の付け方も相まって、本人自身も明解にしにくいものだ。
特に日本は、男女の性差の概念がかなり固定化されていて、どちらにも属しがたいだけで、ちょっと浮いた存在になりがちだ。男か女かでなく、「自分は自分」という理念は、日本社会では通用しにくい。
写真家のベッティナ・ランスによる美しきトランスジェンダーの世界
しかし、世の中は広い。ところ変われば、性の多様性が、肯定的に、美しく、受け止められている。フランス・パリの「ヨーロッパ写真美術館」は、ヨーロッパ随一のコレクションを有し、注目度の高い企画展を常に展開する、現代写真の宝庫だ。
ここで昨年1月から3月27日まで、多くの人を惹きつける企画展が開催された。写真家のベッティナ・ランス(Bettina Rheims)展だ。
http://www.mep-fr.org/evenement/bettina-rheims/
彼女の作品群のなかで一際、観覧者を釘付けにする写真がある。『ジェンダー・スタディーズ』と名付けられたシリーズだ。本シリーズは2011年に制作されたもので、デザイナーとコラボして、さまざまな国のトランスジェンダーの人に、彼ら自身の魅力を引き立てる衣装を着てもらって、ポートレート撮影している。
モデルとなった人々は、男性か女性かという前に、ありのままのひとりの人間としてフィルターに収まり、それぞれに美しい。実際に、生物学的性別(SEX)が男女どちらなのか、写真からはよくわからない人も多く、性差の固定概念が取り払われる新感覚を得られる。
ベッティナ・ランス氏は、フランスに生まれ育ち、米国ニューヨークで多感な20代を過ごした後、パリに戻って写真の道を歩んだ女流アーティストで、アバンギャルドな作風が世界的に評価されている。女性のポートレートを得意とし、かなり初期の段階からモデルやストリッパーのヌードを手がけ、数多くの有名人を撮影した。
一方で、ある時期からトランスジェンダーに惹かれ、混迷する現代の性をモチーフにした作品を多く発表するようになった。
本質的な美を追求するアーティストが、かくも美しく表現する、ボーダーレスな性を内包する人々。もしかしたら、「性同一性障害」を認定するという、新たな枠組みそのものが、次なる固定概念を生むのかもしれない。
(文=ヘルスプレス編集部)