「同性愛者は異常」発言の議員は許されるのか?人は簡単にマイノリティになり得る現実
今日の「極論君」は、神奈川県海老名市の市議会議員がツイッターに投稿した「同性愛者は異常」との考えに同調するとがんばっています。先月、同議員が自身のツイッターに「同性愛は異常なのだ。異常人間の行動を正当化した報道はするな」などと同性愛の方々を差別する書き込みをしていたことがわかり、NHKをはじめとする多くのメディアに取り上げられました。
同議員はNHKの取材に対し、「同性愛の人たちを取り上げるマスコミの報道を批判したのだが、表現に行き過ぎた点はあったと思う。同性愛は個人の自由だと思うが、私としては受け入れられるものではなく、書き込みの撤回はしない」と話しています。
一方、「常識君」の意見は、「もしもそう思っても、常識ある人は決してそんなことは口にしないし、ましてやインターネットにアップするのはちょっと問題ではないか」という意見です。そうすると実は常識君も、心の中ではLGBTの方々になんとなくノーなのですね。
LGBTとは同性愛や性同一性障害の方々の総称で、マイノリティのひとつとされています。そもそも「マイノリティのひとつ」という表現は、なんとなく差別されているからこそ使われるもので、その差別も良い意味の差別ではなく、悪い意味、マイナスのイメージの差別です。数が少ないことだけであれば、とんでもない秀才や、秀でた能力のスポーツ選手、傑出した芸術家などはみな少数派のはずですが、決してマイノリティとは呼ばれません。
マイノリティは、悪い意味で差別される少数者です。差別が許されるべきことではないのはいうまでもありませんが、ここで大切なことは、イマジネーションです。マイノリティの方々を差別する向きは、多くの場合マジョリティに多いですが、一方で本人が実はマイノリティなのに、そのマイノリティの方々がほかのマイノリティを攻撃することもあります。そこで、「いつ、自分がマイノリティになるかもしれない」というイマジネーションが大切なのです。
自分の意思とは無関係にマイノリティになる
病気や怪我がわかりやすい例です。順風満帆でマジョリティに属して生きてきた方も、病気や怪我で一瞬にしてマジョリティからマイノリティになり得ます。つまり、マイノリティは将来の自分かもしれません。病気や怪我にはならないと高を括っていても、100%の保障などできません。
ましてや人は必ず老化はします。誰もが高齢者になるのです。そして介護が必要になる可能性は相当高いのです。要介護の高齢者の数は決して少なくありませんが、やはり負の差別という意味ではマイノリティとみなされがちです。