仙台空港からJR東北本線・館腰駅まで歩く…東日本震災、津波被災地の「防波堤」を横目に
東北最大の空港である仙台空港(仙台国際空港)は、JR仙台駅から約14km南方の、宮城県名取市と岩沼市にまたがる位置に存在する。仙台市内ではないとはいえ、通勤圏の隣市であり、日本の空港のなかでは、ターミナル駅に近くて利便性の高い部類に属する。
日本の空港は、機能や設置・管理主体によって区分されており、2008年までは第一種・第二種・第三種空港の3つに分類されていた。当初は第一種空港のみ国際線が乗り入れていたが、1980年代には第二種空港にも乗り入れを開始。単なる空港の規模による分類になっていた。
2008年の空港法改正により、現在では「拠点空港」「地方管理空港」「その他の空港」「共用空港」「空港以外の飛行場など」に分類されている。名称も、拠点空港や地方管理空港は「空港」という名前が付くが、その他の空港や共用空港は「飛行場」となる。
このうち拠点空港は、さらに「会社管理空港」「国管理空港」「特定地方管理空港」に分類される。会社管理空港は法で定められた株式会社が設置・管理している空港で、資金の一部を民間会社に出資してもらい、国の負担を減らしている。成田国際、中部国際、関西国際、大阪国際(伊丹)の4空港が該当し、これに東京国際空港(羽田)を加えたものが旧第一種空港に当たる。日本の中核的存在の空港といっていいだろう。
国管理空港は、新千歳空港や福岡空港など主要な19の空港が該当する。羽田空港もここに含まれるのは、規模ではなく設置・管理主体による区分であるからだ。仙台空港は東北地方で唯一、この国管理空港となっている。東北地方の中核空港であることの証明といえるだろう。
ややこしいのは、仙台空港を運営しているのは、仙台国際空港株式会社であるということだ。ならば「会社管理空港になるのではないか?」と思われるかもしれないが、運営権は民間に売却しているものの、空港管理会社に対して国が出資しておらず、所有権も国が保有しているため、国管理空港という扱いになっている。
東北地方を代表する空港だけあって、仙台空港の発着便数は多い。国管理空港のなかでは羽田、新千歳、福岡、那覇の各空港に次ぐ便数だ。コロナ禍で、仙台-中部便を運行していたLCC(格安航空会社)のエアアジア・ジャパンが10月上旬に事業継続の断念を発表したが、直後に同じくLCCのピーチが12月24日より仙台-中部便の就航を発表するなど、この時勢でも一定のニーズがあると評価されているようだ。
北海道新幹線が札幌まで開通すれば、飛行機と新幹線がバトルを繰り広げるか
ニーズの多い主要空港らしく、仙台空港には直結の駅が存在する。2007年に仙台駅と空港を約25分(661円)で直通する仙台空港アクセス線が開通した。空港への直通鉄道にJRが関わることは珍しく、仙台空港以外には成田・関西・新千歳・宮崎に乗り入れているのみだ。
これはいうまでもなく、航空機が鉄道の競合に当たるためだ。逆にいえば仙台空港において航空機は、JRの競合になっていないことの証左でもある。というのも、地方空港にとって最大のドル箱である東京便は、仙台から距離が近すぎて就航しておらず、東北新幹線の独壇場になっている。
一方で大阪や名古屋など他の地方へは、東京駅で乗り換えが必要な新幹線ではなく、空路が主役となっている。今後、競合が起こり得るのは札幌だろう。北海道新幹線が開通すれば、所要時間と料金の両面で激しい競争が起こるかもしれない。
さて今回は、仙台空港駅ができる前の最寄り駅であったJR東北本線の館腰(たてこし)駅まで歩いてみた。実践したのはコロナ禍前の2020年の1月。寒風吹きすさぶ冬の日だった。
震災時には津波が押し寄せた仙台空港から、JR東北本線・館腰駅までの6.5kmを歩く
現在の仙台空港のターミナルは1997年にオープンしたもので、前面はガラス張りのモダンな作りだ。規模も大きい。飲食店や物販店などさまざまな店舗が並ぶほか、フライトシミュレーターなどがあるエアポートミュージアムの「とぶっちゃ」も備えている。ただ1日いても飽きないというほどのスケールではない。あくまで、地方空港としては規模が大きいサイズといったところだ。
空港を出ると、地方空港恒例の駐車場銀座の奥には、荒涼とした草地が広がる。周辺に賑わいがある空港など少ないとはいえ、それにしても寂しい雰囲気だ。しかし、すぐに右手にA滑走路が見えてくる。
仙台空港の滑走路は「ト」または「y」のような形状(どちらも短い画の向きが違うのだが……)になっており、基本的に航空機は3000mのB滑走路で発着する。短いA滑走路は、現在ではセスナなどの小型機に使用されている。
さらに進むと、工場やレンタカー会社の営業所などが現れてくる。このあたりで目立つのが「津波到達水位」と書かれた看板だ。2011年3月11日の東日本大震災で、仙台空港は大きなダメージを負った。地震直後に滑走路は閉鎖され、ターミナルビルには旅客や周辺住民などが避難をした。そして地震発生から約1時間後に津波が到達し、空港と関連施設は冠水した。
避難者の退避は翌12日より始まり、16日までに職員を除く全員が空港を離れることができた。さらに空港機能は4月13日と、震災からわずか33日で復旧。仙台空港駅も10月1日に営業を再開している。
とはいえ仙台空港周辺を歩いてみても、地震と津波の爪痕を見つけるのは案外難しい。もちろん道路や歩道の一部に不自然な段差やヒビはあるのだが、建物や電柱が妙に真新しかったり、あちこちにだだっ広い空き地があるのは、もともとそうだったと捉えられなくもない。他の被災地もそうだが、「わかりやすい」痕跡はすでに絶滅しつつあるのだ。
だからこそ、津波の高さを示す看板は必要なのだろう。歩いていて、この瞬間に地震が発生したらどこへ逃げればいいのかを考えた。なにしろ、空港の1km東は海なのだ。1時間あればターミナルまで行けるだろうが、高齢者や乳幼児、障害を抱えた人が同行していた場合はどうか。現地に行ってこそ、想像できることはいろいろある。
震災時に「津波の堤防」の役割を果たした仙台東部道路を眺めながら、平坦な道を歩く
空港の南側を延びる両側4車線の幹線道路をひたすら西へ歩いて行くと、工業団地が出現する。川を越え、さらに西へと進むと、仙台東部道路の仙台空港ICが現れた。
2011年の震災当時、この道路が津波をせき止める堤防の役割を果たしている。現在、建設される高速道路は高架(橋梁)形状が多い。盛り土は土砂を確保し運搬する必要があること、経年とともに地盤の沈下を招くこと、走行面だけでなく法面の部分の土地確保も必要であることなどがその理由だ。
だが盛り土は水害の対策となるだけでなく、普及が容易というメリットもある。コンクリートによる高架構造は壊れにくいのだが、いったん壊れると直すのは容易ではない。実際に阪神・淡路大震災で倒壊した阪神高速道路は復旧に1年以上の時間がかかったが、盛り土が多かった東日本大震災の被災地では、応急での迅速な復旧が各地で行われた。
実際に現地を歩いてみると、確かに仙台東部道路が堤防に見える。震災時は、実際に法面を上って高速道路上に避難した人もいたというが、この高さがあれば、なるほど安全だろうと納得させられた。
さらに600mほど進み、交差する国道4号を右折すると、すぐに館腰駅が現れた。距離は約6.5km、所要時間は1時間30分ほどだった。海沿いだけにずっと平坦な道なのは歩いていて楽だったが、だからこそ津波を遮るものがほとんどなかったということになる。
直結駅がある以上、仙台空港から館腰駅まで歩く積極的な意義はない。ただ、震災について考えるには、ちょうどよい距離だった。来年の3月11日は、東日本大震災から10年を迎える。その前に、1度歩いてみるのもいいルートではないかと思う。
(文=渡瀬基樹)