マイナーな駅・平井にも三業地があった
平井駅というと、JR総武線の駅だが、降りたことのある人は少ないだろう。両国、錦糸町、亀戸、小岩、新小岩では降りても、平井では降りない。マイナーな駅である。1899年に駅ができたが、乗降客数は今も一日当たり3万人程度と小さい駅だ。
だが、行ってみると面白い。駅の南口には戦前から三業地があって、けっこう栄えたそうである。1943年に待合・料亭組合員数が33だったというから、荒川区の尾久や中野区の新井、中野新橋の三業地と同規模だ。
阿部定が吉蔵と出会ったのが新井の吉蔵の経営する料亭、一物をちょん切ったのが尾久の料亭だったことから推測して、当時としては東京郊外に当たる地域の三業地としては、十分に栄えていたといえるのではないか。今行ってもいくつか料亭が残っている。木造の味わい深い建物もあり、往時を偲ばせる。
そこからしばらく歩くと昭和な喫茶店がある。東京23区西側ではほぼ消滅したタイプであるが、下町に行くとまだ残っているのがうれしい。
面白いのは駅北口の「平井ショッピングセンター」である。外観は数階建てのモダニズム建築なのだが、1階と2階がショッピングセンターになっている。ショッピングセンターといっても、1階は靴下屋と婦人服店と化粧品店があるくらいで、2階は居酒屋、寿司屋、うどん屋と昭和喫茶。おたくの聖地になる前の中野ブロードウェイを限りなく小型化したような感じといえば、わかる人にはわかるか。
喫茶店と同様「町中華」も多いのは昭和世代にはノスタルジーをそそる。
平井は擬宝珠(ぎぼうしゅ、ぎぼし)の街でもある。擬宝珠とは五重塔の上や橋の欄干の上に付ける真鍮の、タマネギのような形の帽子である。この工場が平井にある。髙橋金交(かねへんに交わるで1文字)工業株式会社だ。「金交」は「しぼり」と読む。平らな板金を立体的にする工程を「しぼり」というのだ。
同社は、終戦後の1949年に操業開始。一貫してヘラシボリ加工に専念してきた。アルミ製食器、車のヘッドライトカバーからハダカ電球の傘、照明器具一般などをつくり、常に新技術を開発してきたという。たしかにタマネギのような形に成形するのは高度で特殊な技術がいるに違いない。テレビの散歩番組などで取り上げられることも多いのか、外から製作現場を見ていても、慣れたもので、気さくに見せてくれた。