この擬宝珠工場のほかにも、昔は多くの町工場があったらしい。今はたいがいマンションに変わってしまった。それでも平井には253の製造業事業所があり、江戸川区全体の2146事業のうち、1割以上を占める。平井よりも多いのは松江の351事業所だから、工場街としては大きかったことがわかる。
平井出身の30代の男性に聞いたところでは、小学生、中学生時代には街を駆け回って遊んでいたらしく、マンションの屋上に上っていちばん縁を走ったりしたという。危なくてしょうがないが、下町の子どもらしいといえば実に「らしい」遊び方だ。鳶職になる人だってこういう下町には多いだろうから、子どもの頃からマンションの屋上を駆け回っても当然なのだろう。
そういう子どもがたくさんいたせいか、工場の塀にも「きけん へいにのぼるな」「はいってはいけません」の張り紙や看板が、ずいぶん昔のもののようだが、残っている。単にのぼって中を見ただけでなく、塀の上を走ったのに違いない。
急な階段が好きな街?
こうした工場街の特徴のひとつは、工場経営をしている人が、その技術を示すために、ちょっと普通は考えられない建物を建てることがあるという点だ。これは下町でなくてもあることだが、たとえばダクト工場の本社がダクトを壁面に縦横無尽に貼り付けていたり、水道工事会社がパイプを貼り付けていたりするのである。
また工場街は住宅地の土地が狭い。だから、階段が急だったり、玄関が小さかったりする。玄関はドアではなく引き戸が普通だ。昔の長屋風ということもあるが、土地が狭いからドアより引き戸が便利なのだと思う。
私はそういう変則的な階段や建物を見るのが大好きなので、平井でも探し歩いたが、大発見をひとつした。狭くて急な螺旋階段を上って2階の玄関に行き、さらに屋上の物干し場に行くには別の窓(?)から出てまたしても急な階段を上るというものである。こりゃあ、ずいぶんと身の軽い人が住んでいるんだろうなあ、やっぱり鳶職の人かしらと感心した(ただし住人の職業を確かめたわけではないが)。
こういう建物は古いので、いずれはなくなってしまい、ただの四角いビルに建て替わるだろう。昭和の記録、高度成長期の記録がなくなるようで、寂しい。
(文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表)