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警視総監も開業式に来た
しかも、まわりは土管の埋立工事のために土が掘り返され、溝には板が渡されているだけ。火事を恐れて石油ランプを使わず、すべて電灯を使った文明開化の遊郭でもあったが、最初は電灯もちゃんとは点かないので、暗がりで溝に落ちる客も多かったという。貸座敷の壁もまた塗りが乾かないほどであった。
こうして正式に洲崎遊廓の開業式が挙行されたのは88年9月15日。それから15日間ほど各種のイベントが行われた。根津から移転した貸座敷は83軒。娼妓の数は974人。飲食店29軒、その他の店23軒という大規模なものだった。さらに2年後の90年には貸座敷93軒、娼妓1189人に増えたという。
また88年には東京市15区が成立し、洲崎埋立地の管理権は東京市が持っていたので、洲崎遊郭の大家さんは東京市ということになった。だから、開業式には来賓として総理大臣・黒田清隆、東京府知事・高崎五六(ごろく)、警視総監・三島通庸(みちつね)も列席した。都民税の多くが貸座敷から徴収されており、娼妓がいなければ警察の予算が足りなくなるとすらいわれており、遊郭もまた公的なものという時代であった。
開業式では花火300発が打ち上げられた。貸座敷はどこも軒先に日の丸を掲げ、生き人形や造花で飾り付けた。人気をさらったのは各座敷から選りすぐった娼妓たちを座敷に並べて見物させた、いわばファッションショーだった。遊郭とはいえ物珍しさから女性も子どももこのショーを見に来たという。
(文=三浦展/カルチャースタディーズ研究所代表)
参考文献
岡崎柾男『洲崎遊郭物語』
吉田伸之他編『みる・よむ・あるく 東京の歴史 4巻』
『江東区史』
洲崎遊郭地図の一部(資料「火災保険特殊地図」)
戦前の洲崎の写真と2001年頃の同じ場所(三浦撮影)
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