製造業が国内回帰しても無人工場が増えるだけである…なぜ人々の「仕事」は減るのか?
本連載では、急速な技術革新がもたらす社会・経済システムの変化について議論を展開したい。その前提として、雇用の喪失について少し歴史的に振り返ってみたい。
人類の歴史を振り返れば、18世紀の産業革命以降、技術導入によって人々が従事する「仕事」は減少してきた。それに対する労働者の抵抗としては、19世紀前半にイギリスで起こった、織物工業への機械導入による失業の恐れを感じて手工業者や労働者が機械を破壊したラッダイト運動が有名である。これは、現在の人工知能をはじめとする高度なコンピュータによる雇用喪失議論の先鞭でもある。現在、「ネオ・ラッダイト」と呼ばれる「技術開発を大幅に制限し、その使用も制限するべきである」と主張する極端な運動がある。
また、産業と企業活動の「脱国境化」も、一国の特定産業の雇用を減少させてきた。1970年代のアメリカで起こった脱工業化社会の動きの背景にあった同国製造業の競争力喪失は、安価な輸入製品に加えて、アメリカ企業も製造拠点を安価な労働力を確保できる海外に移行したことで、それに従事する同国工場労働者の失業に起因している点も、この歴史的な流れの一端といえる。
しかし、前者では機械工業化による製造業拡大が失業した労働者を十分に拡大することで、後者では産業構造を第二次産業(加工製造業)から第三次産業(広義のサービス業)主体に転換し、失業した工場労働者を第三次産業で吸収することによって問題を解消した。
そして91年の冷戦終結後、国家の力を減衰させる急速なグローバル化によって、企業にとって国境を越える資本移動の制約が解かれたことで、主にブルーカラーの「ルーティン(反復)生産」に従事する工場労働者の仕事は、賃金がより安い地域の労働者に代替されて、先進国で仕事がなくなることが加速化した。
これが、「先進国の製造業空洞化」である。日本もこの洗礼を受けた先進国のひとつだが、ここでも失業した工場労働者は裾野の広いサービス業に吸収されることになった。
これと並行して、製造機械の急激な技術進歩も、工場労働者の仕事を減らしてきた。機械技術はその精度と効率を上げ、旋盤や金型に代表されるような熟練工の領域までも機械で置き換えられ、FA(ファクトリー・オートメーション)のように工場の製造ラインに極力、労働者をおかない傾向が強まっている。最近では、少数の設備装置管理者以外は人がいない「無人工場」も珍しくはない。日本国内に製造業が回帰しても、無人に近い工場を建設することになるであろう。つまり、現状の労働者の仕事が機械に置き換わるだけでなく、そもそも工場労働という「ルーティン生産」に従事する仕事の需要が減少するのである。