ゲーム依存の裏に潜む「生きづらさ」という本当の問題…依存症患者の特徴と治療法の実態
ゲーム依存症患者への「治療」はどのように行われているのか。2月23日に「ゲーミングの未来を考える会」による研究会が開催され、東京・蒲田のタカハシクリニックで精神保健福祉士としてゲーム依存治療に携わる齋藤広美氏が講演「ゲーム障害とはどんな病気か」を行った。
依存の要因や回復のプロセスと、その際の周囲の注意点をレポートする(※タカハシクリニックのゲーム障害治療は16歳以上を対象にしている。また、日本では診断として「ゲーム障害」が正式に適用されるのは2022年からだが、記事内ではわかりやすさのため「ゲーム障害」と記載する)。
「ゲームのやりすぎ」を指摘するのはNG
ゲーム障害の症状や問題は、本人より家族など周りの人のほうがよく見えているケースが多い。しかし、特に親から「ゲームをやりすぎているのでは」と指摘されると、本人は反発し、家族間の関係が悪化してしまい、効果的な治療にもつながらなくなってしまう。
肝心なのは「本人が自分の視点から問題に気づくこと」であり、そこで齋藤氏が気づきのポイントとして挙げるのが「体の健康」だ。ゲームをやりすぎて肩がこる、首や頭が痛い、目がかすむ、運動不足でちょっと動いただけですぐ疲れる……こういった問題は「ゲームをやりすぎていること」よりも、本人も素直に受け入れやすい。体の健康に気を配るだけで、ゲーム障害の症状が大きく改善するケースもあるという。
ゲーム障害になりやすい3要素
しかし、なぜ「問題のない範囲でゲームを遊べる人」と「依存にまではまり込む人」がいるのか。齋藤氏は、のめり込む背景として以下の3点を挙げる。
(1)スマホ対応によるゲームの手軽化
ゲームがスマホ対応し、手軽にいつでも誰とでも遊べるようになったことで、家庭用ゲーム機を使っていた頃よりもコントロールを利かせにくい状況にある。
(2)脳の問題
脳内は、「判断」を行う前頭前野と「欲求」を司る大脳辺縁系がシーソーの関係にある。ゲーム障害に限らず、依存症の場合は大脳辺縁系の働きが前頭前野に優ってしまい、行動を意志の力でコントロールできづらくなってしまう。
(3)ストレスや生きづらさ
人間関係のストレスや生きづらさから自分自身を守るため、その対象に没入するケースも多い。
上記3点のうち、齋藤氏が特に大事にしているのは(3)、ストレスや人間関係の行き詰まりによる生きづらさだ。「ゲームにはまるのは、ゲームが持つ特徴によるものだけの問題ではない」と齋藤氏は話す。「ゲーム上で仲間に必要とされた」など、ゲームが生きづらさを解消してくれている側面もある。よって、治療の目標も「断ゲーム」ではなく「節ゲーム」とし、あわせてゲーム以外のものにも目を向けるようにしていく。
依存患者が「変わっていく」回復の5段階とは
ゲーム障害の当事者が「自分はゲームに依存している」ことを認めるまでには時間がかかり、かつ、そこにたどり着くためにはいくつかのプロセスがあるという。各段階と、それぞれにおいて周囲が気をつけないといけないポイントは以下の通りだ。
(1)変わろうと思えない段階
ここで問題を指摘したところで、否認や抵抗につながる。むしろ、ゲームの何が楽しいかを聞くことが大事で、齋藤氏は家族にそう勧めているという。「本人がうれしそうにゲームの話をした。こんなに関係が変わると思わなかった」と話す保護者も多い。
(2)変化が必要と思い始める段階
ここでも目標を周囲から提示しないことが重要で、ゲームのメリットやデメリットを「上から」ではなく丁寧に聞いていく姿勢が問われる。たとえば、ゲームをすることで「面倒なことを考えずに済む」のであれば、「考えたくないこともあるんだね」と興味関心を持って聞いていく。聞くことで問題が見えてくるのだ。
(3)変わる準備の段階
ここでいきなり「断ゲーム」など大きすぎる目標を立てる人も多いが、大事なのはスモールステップであり、本人にどうしていきたいか聞き、実現可能な目標から始めていくことが成功のポイントになる。
(4)変わる行動を始める段階
この段階まで進むと、治療の面接の中でもゲームの話は1~2割程度しか出ず、日常の出来事や人間関係における生きづらさなどの話がメインになる。変わる行動をすでに始めているのに当人の自己否定感が強く、自分の成長を認められていないこともあるので、当人自身が変化に気づけるように促すことが大切という。
(5)維持
「維持がうまくいかなかったとき」の対処も考えることが大切になる。
ゲーム障害は“生きづらさ”による二次障害
ゲーム障害は「本人の問題」の表面化の仕方が、たまたま「ゲームのやりすぎ」であったというだけで、ゲームだけが悪いのではないと齋藤氏。ゲーム障害は生きづらさによる二次障害であり、対処すべきものはゲーム障害ではなく「生きづらさ」なのだ。では、その生きづらさとどう付き合っていけばいいのか。齋藤氏は最後にこう話した。
「人生はしんどい、苦しい、解決できないことのほうが多く、そんな中どう生きていくかです。ただ、『しんどい、苦しい、解決できないことを持ち続ける力』が弱いな、と患者さんを見ていて思うことがあります。生きづらさを誰かに話したりして『減らした上で、持ち続ける、抱えていく』ことができず、耐えられなくなってしまうんです」
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生きづらさから目を背けるためにゲームをしている人に対し「ゲームを規制する」だけでは、問題の根本の解決にはつながらない。新たな依存対象を見つけ、それに没入していくだけだろう。そして、生きづらさについて「目を背ける」「ゼロにしようとする」のではなく、「さまざまな手段で減らすことを試みながら、それを抱え、付き合っていく」という話はとても現実的なものに思える。
しかし、ゲームが「はまりやすい構造」を持っていることも事実だ。では、ゲーム会社の開発者は「子どもを依存に陥れる悪の手先」なのだろうか? 後編では引き続き、ゲーミングの未来を考える会の研究会から、現役ゲーム開発者の思いをレポートする。
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