社会人になれば、上司や取引先との関係上、Facebookのアカウントは人脈作りには役立つから、自分からも友達申請するし、申請されればほぼ承認する。いわゆる“大人の事情”に応じてFacebookを使うようになるが、積極的に投稿するわけでもない。Facebookは、世界的に見ても若年層のトラフィックは増えているというが、閲覧自体はあっても、彼らの投稿が少ないということは身に染みて理解しているはずだ。だからこそインスタや、スマホ向けメッセンジャーアプリ・WhatsAppを買収しているのだ。
学生や10代を中心とした若者は、Facebookはおじさんの世界だと考えている。密かなコミュニケーションはLINEやWhatsAppでするし、背徳的な写真はフォトメッセージアプリ・Snapchatで見せ合う。そしてイケてる写真はインスタで共有するのである。
Facebookが実名によるインターネット、実社会とひもづいた(ある意味)窮屈な空間をつくり上げたことで、セクスティング(=Sexting/性的な話や写真などをモバイルでやりとりすること)はSnapchat(日本ではLINEがまかなっているのかもしれない)、セルフィはインスタ、という図式が成立している。だからといって、おじさんがインスタに自撮りアップという図式は見たくもない。
せっかくFacebookが全世代に共通するソーシャルメディアに成長しつつあったものが、やはり若者は若者だけの空間を欲するのがネイチャーというわけで、彼らしかいないことで盛り上がる世界をつくり上げ、そこに逃げ込んでしまう。おじさんたちがそこに追いかけていくことは、野暮の極みであり、せっかくの若者の楽しみをスポイルしてしまうことになるのである。
(文=小川浩/リボルバー代表取締役CEO・シリアルアントレプレナー)