ヤクザの抗争のきっかけは、8月に起きるといわれ続けてきた。山一抗争の口火となった刺殺事件、宅見組組長射殺事件、六代目山口組の分裂……明確な理由はわからないが、山口組では8月は夏休みに入り、各傘下組織による本家への出入りがなくなる。こうした期間に、さまざまな準備をしたり、それを実行したりすることができるのが関係しているのかもしれない。
そして、この8月も事件は起きたのだった。
発端は、先月に起きた六代目山口組三代目弘道会系組織と任侠山口組四代目竹内組の大乱闘だったのかもしれない。六代目山口組の中核組織である弘道会。その弘道会のなかでも、現在もっとも勢いがあるといわれているのが野内組である。その野内組傘下組員らが大勢で、長野県飯田市内にある四代目竹内組が関係しているといわれる飲食店を訪れると、店舗側から連絡を受けた四代目竹内組組員らが急行。店内で両者は怒声を浴びせ合い、複数の負傷者が発生する大乱闘に発展したのだ。
両組織はどちらも武闘派ということもあって、当局もその後、両組織の対立が激化しないか警戒を強めていたさなかの8月21日、野内組傘下の三代目近藤組組長が飯田市内で、四代目竹内組関係者らに拉致され、激しい暴行を加えられるという事件が起きたのだ。
「三代目近藤組組長は、竹内組組員らに山中へと連れて行かれ、暴行を加えられながら引退を迫られたのではないかといわれている。先日の乱闘事件との因果関係はわからないが、竹内組と近藤組の間では以前からなんらかの因縁もあったようだ」(地元関係者)
その後、解放された近藤組の組長は市内の病院へと担ぎこまれることになるのだが、それに激怒したのが野内組をはじめとした弘道会サイドであった。
「事態を重視した弘道会サイドは、その日のうちに相当な数の系列組織の組員らを飯田市に向かわせたようだ」(業界関係者)
振り返れば 2015年の六代目山口組分裂直後、同組から神戸山口組へ移籍しようとした人物が射殺されるという事件が起きた場所も飯田市であった。その後、六代目山口組サイドと神戸山口組サイドは長野県を舞台に、激しい衝突を繰り返すことになるのであった。
「現在、もっとも勢力を拡大している野内組が攻めあぐねていたのが長野県といわれていました。そこには、任侠山口組傘下の四代目竹内組が存在していたからといわれています。それを今回、弘道会サイドは、近藤組組長の事件を契機に徹底して攻め込もうと考えたのではないかと、捜査当局はみているようです」(ジャーナリスト)
発火したのは山口組のお膝元だった
六代目山口組分裂後、激しい衝突を繰り返す舞台となった長野県であるが、五代目体制までは長野県といえば、直系組織の近松組の存在が大きかった。
まだ、近松組が三代目山口組の名門組織「初代大平組」の傘下組織だった時代に、長野県を制圧するように命を受けた近松組組長が、兵庫県尼崎市から配下の組員らを引き連れて長野県へと進出したことがその起源だといわれている。
その後、近松組長の引退によって近松組は解散。長年にわたり同組織で若頭などの重責を担った最高幹部の勢力が、出身母体である二代目大平組(現在、三代目大平組は任侠山口組傘下)へと加入。一方、ほかの最高幹部の勢力は、弘道会(現在は六代目山口組の中核組織)や山健組(現在は神戸山口組の中核組織)などの有力組織へと加入することになるのだが、奇しくもこうした構図ができたことが、後の六代目山口組分裂後の衝突につながっていく要因のひとつにもなってしまうのだった。
そして今回、またしても長野県を舞台に火花が飛び散ることが予想され、捜査関係者や業界関係者の多くの意識が信州に向く中、火花は思わぬ地域で発したのだった。
弘道会系組織が続々と飯田市に入ってきていると噂になっていた翌日の22日。神戸市内で銃声が鳴り響いたのである。それが、先日報じられた弘道会の関連施設で起きた組員銃撃事件である【参考記事「六代目山口組連続襲撃で騒動が再燃か」】。
この銃撃事件はいまだ犯人は特定されておらず、近藤組組長事件との関係性は不明だ。だが、立て続けに六代目山口組の中核である弘道会系組織が襲われたことは間違いない。六代目山口組が分裂してから4年目を迎えた8月、抗争含みのその行方は一気にきな臭くなり始めてきている。
(文=沖田臥竜/作家)