「パワーハラスメント(パワハラ)」という用語は、今や誰もが知る言葉となった。だが、パワハラとは何を指すのかについて、明確に答えられる人は少ないだろう。厚生労働省が示した「職場におけるパワーハラスメントに関して雇用管理上講ずべき措置等に関する指針の素案」にはその具体例が明示されている。だが、あまりにも“抜け道”が多く、おおよそ機能するとは思えない。
同指針では、職場のパワハラを「事業主が職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、その雇用する労働者の就業環境が害されること」と定義している。対象となる労働者は、正規雇用労働者のみならず、パートタイム労働者、契約社員、派遣社員等いわゆる非正規雇用労働者を含む事業主が雇用する労働者のすべてだ。
さらに、職場におけるパワーハラスメントとは、(1)優越的な関係を背景とした言動であって、(2)業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、(3)労働者の就業環境が害されるものであり、(1)から(3)までの要素をすべて満たすものと条件付けている。ただし、客観的にみて、業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導については、職場におけるパワーハラスメントには該当しないとしている。
では、(1)から(3)までの要素とは、具体的にどのようなものを指すのか。指針では、以下のように定義している。
<優越的な関係を背景とした言動>
当該事業主の業務を遂行するに当たって、当該言動を受ける労働者が行為者に対して抵抗または拒絶することができない蓋然性が高い関係を背景として行われるもの
・職務上の地位が上位の者による言動
・同僚または部下による言動で、当該言動を行う者が業務上必要な知識や豊富な経験を有しており、当該者の協力を得なければ業務の円滑な遂行を行うことが困難であるもの
・同僚または部下からの集団による行為で、これに抵抗または拒絶することが困難であるもの
<業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動>
社会通念に照らし、当該言動が明らかに当該事業主の業務上必要性がない、またはその態様が相当でないもの
・業務上明らかに必要のない言動
・業務の目的を大きく逸脱した言動
・業務を遂行するための手段として不適当な言動
・当該行為の回数、行為者の数等、その態様や手段が社会通念に照らして許容される範囲を超える言動
<就業環境を害すること>
当該言動により労働者が身体的または精神的に苦痛を与えられ、労働者の就業環境が不快なものとなったため、能力の発揮に重大な悪影響が生じる等当該労働者が就業する上で看過できない程度の支障が生じること
パワハラに該当する行為
そして、具体的なパワハラ行為を(1)身体的な攻撃、(2)精神的な攻撃、(3)人間関係からの切り離し、(4)過大な要求、(5)過小な要求、(6)個の侵害――という6類型に分類し、それぞれについて該当と非該当の例を示している。その具体例は、以下のようになっている。
=該当する行為=
<暴行・傷害(身体的な攻撃)>
・殴打、足蹴りを行うこと
・怪我をしかねない物を投げつけること
<脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)>
・人格を否定するような発言をすること(例えば、相手の性的指向・ 性自認に関する侮辱的な発言をすることを含む)
・業務の遂行に関する必要以上に長時間にわたる厳しい叱責を繰り返し行うこと
・他の労働者の面前における大声での威圧的な叱責を繰り返し行うこと
・相手の能力を否定し、罵倒するような内容の電子メール等を当該相手を含む複数の労働者宛てに送信すること
<隔離・仲間外し・無視(人間関係からの切り離し)>
・自身の意に沿わない労働者に対して、仕事を外し、長期間にわたり、別室に隔離したり、自宅研修させたりすること
・一人の労働者に対して同僚が集団で無視をし、職場で孤立させること
<業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害(過大な要求)>
・長期間にわたる肉体的苦痛を伴う過酷な環境下での勤務に直接関係のない作業を命ずること
・新卒採用者に対し、必要な教育を行わないまま到底対応できないレベルの業績目標を課し、達成できなかったことに対し厳しく叱責すること
・労働者に業務とは関係のない私的な雑用の処理を強制的に行わせること。
<業務上の合理性なく能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと(過小な要求)>
・管理職である労働者を退職させるため、誰でも遂行可能な業務を行わせること
・気にいらない労働者に対して嫌がらせのために仕事を与えないこと
<私的なことに過度に立ち入ること(個の侵害)>
・労働者を職場外でも継続的に監視したり、私物の写真撮影をしたりすること
・労働者の性的指向・性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、当該労働者の了解を得ずに他の労働者に暴露すること
パワハラに該当しない行為
=該当しない行為=
<脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言(精神的な攻撃)>
・遅刻や服装の乱れなど社会的ルールやマナーを欠いた言動・行動が見られ、再三注意してもそれが改善されない労働者に対して強く注意をすること
・その企業の業務の内容や性質等に照らして重大な問題行動を行った労働者に対して、強く注意をすること。
<隔離・仲間外し・無視(人間関係からの切り離し)>
・新規に採用した労働者を育成するために短期間集中的に個室で研修等の教育を実施すること
・処分を受けた労働者に対し、通常の業務に復帰させる前に、個室で必要な研修を受けさせること
<業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害(過大な要求)>
・労働者を育成するために現状よりも少し高いレベルの業務を任せること
・業務の繁忙期に、業務上の必要性から、当該業務の担当者に通常時よりも一定程度多い業務の処理を任せること
<業務上の合理性なく能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと(過小な要求)>
・経営上の理由により、一時的に能力に見合わない簡易な業務に就かせること
・労働者の能力に応じて、業務内容や業務量を軽減すること
<私的なことに過度に立ち入ること(個の侵害)>
・労働者への配慮を目的として、労働者の家族の状況等についてヒアリングを行うこと
・労働者の了解を得て、当該労働者の性的指向・性自認や病歴、不妊治療等の機微な個人情報について、必要な範囲で人事労務部門の担当者に伝達し、配慮を促すこと
事業主・経営者に対する処罰が重要
確かにある意味では具体的な事例が示されているといえる。しかし、あまりにも抽象的で曖昧模糊とした部分が多く、抜け道だらけだといわざるを得ない。詳細に取り上げることはしないが、例えば、職場のパワハラの定義では場所を「職場」に特定しているが、パワハラは、職場でのみ発生するものではない。職場以外でも、例えば飲み会の席などでもパワハラは発生する。こうした点に対する配慮が抜け落ちている。
また、“明らかに”“大きく”“不適切な”“看過できない”あるいは“長時間”といったように、基準が明確でないものも多く規定されている。当然、厚労省の労働政策審議会でも、こうした点について議論が行われた。労働側からは「定義が狭い」といった批判が出され、日本労働弁護団も抜本的な修正を求める声明を出したが、より広範囲に、より具体的に定義し直されることはなかった。
今年6月21日、ILO(国際労働機関)総会では、労働の世界における暴力とハラスメントを禁止する条約・勧告が圧倒的多数で採択された。同条約は、暴力・ハラスメントをジェンダーに基づくものを含め、「物理的・心理的・性的・経済的な損害をもたらすか、受け入れがたい行動・慣行」と幅広く定義し、契約形態にかかわらない稼働者や退職者などを含むものとした。加盟国は法制措置をとることが義務付けられているが、日本は条約に賛成したものの、条約の批准は行っていない。
“ハラスメント対策後進国”といわれる日本にとって、人々がハラスメントに対する知識と行動をより理解することが重要だが、より重要なのはハラスメントに対する処罰だろう。特に職場におけるパワーハラスメントでは、事業主・経営者に対する処罰が重要な意味を持つ。
今回の厚労省による「職場のパワハラ防止指針」は、大企業には2020年6月から、中小企業は22年4月から適用される予定だ。
(文=鷲尾香一/ジャーナリスト)