安倍首相の到着に市民が「何様よ」
タクシー乗り場に目をやると、警備のために設置されたポールで場所が制限され、目つきの鋭いSPらしき関係者が案内役をしている。前出とは別の運転手も苦笑する。
「ウグイス嬢が『今、安倍首相が来てくれました!』って叫んだ時、俺の車に乗っていた客が『頼んでないわよ、何様よ』だってさ。俺も、首相が景気を良くしてくれるなら我慢もするけど、全然良くならない。アベノミクスって、一握りの金持ちのための政策であって、その恩恵は俺たちにまでは回ってこないんじゃないかな」
安倍首相到着の瞬間、駅前の信号は青の点灯時間が普段より長く感じられた。おそらく、手動に切り替えたのだろう。そして、プレジデントやベンツなどの高級車が5台、ロータリーに入ってきた。
首相到着の一報を受けたSPは、客を乗せるべくプールを出ようとするタクシーを停止させる。そして、車から“日本のトップリーダー”が降り立つと、群衆は割れんばかりの拍手で迎えた。
壇上に上がった首相は「市川のみなさん、こんにちは! 安倍晋三でございます」と第一声を放ち、20分ほど演説したが、眼下で窮屈な思いをしているタクシー運転手など、眼中にないようである。
「田中角栄のように、観察力の鋭い政治家だったら気がついたかもな。『景気回復だ』『アベノミクスだ』と連呼するのもいいけど、俺たちに『タクシー運転手のみなさま、場所をお貸しくださり、ありがとうございました』ぐらいの言葉があってもいいよな。そんなことを言っても仕方ないか。俺たちは文字通り“下々の者”だもんな」(前出のタクシー運転手)
休憩から戻ってきた別の運転手は、「2時間ぐらいつぶされたって、どうってことないんだよ。例えば、駅前で火事などの災害が起きた時、消防車にタクシープールを譲るのは当たり前だし、仕事にならなくても文句は言わない。でも、選挙っていうのは政治家の都合でしょ。権力者の私利私欲によって仕事を邪魔されるわけだから、文句を言いたくもなるよ」とつぶやいた。
首相の車が駅を後にしても、大勢のSPや警察関係者らしき面々は、タクシープールからなかなか引き揚げない。しびれを切らした運転手の1人が「終わったんだろ、早くどいてくれ!」と言うと、ようやく関係者の車は出ていった。
私事で恐縮だが、筆者は選挙運動に携わったことがある。その時は気付かなかったが、選挙活動を一歩“引いて”見てみると、「実は、迷惑をかけていたのかもしれない」と実感させられた。そうした実感を政治家に求めるのは……無理な話だろう。
その後、市川駅では自民党以外の政党に所属する候補が遊説を重ねているが、「誰も演説など聞いていないし、見向きもしない。今回の参院選は自民党の圧勝だね」と運転手たちは予測している。
(文=後藤豊/フリーライター)