中国、国策「デジタル人民元」で世界席巻を目指す…ドル基軸体制を打破へ、米中通貨戦争
世界中が新型コロナウィルス(COVID-19)という「見えない敵」の猛威の前にたじたじとなり、ロックダウンなどの影響で多くの経済活動が中断や停滞を余儀なくされてしまった。このままでは戦後最悪の不況が避けられない状況だ。2020年の東京オリンピック・パラリンピックは21年への延期が決まったが、パンデミックの第2波、第3波が起これば、中止という選択肢が現実的になるだろう。
これまで人類はさまざまな感染症と向き合ってきたが、今回のケースはいつ終息を迎えるのか、まったく先が見えない。しかも、自然発生なのか人工的な生物化学兵器なのか、その発生源すら特定されていない。特効薬やワクチンの開発も各国の研究機関や製薬メーカーがしのぎを削っているが、ビル・ゲイツ氏曰く「早くても21年になるだろう」とのこと。もちろん、効果の期待される治療薬の開発にかかわる企業の株価は急騰を続けている。
それどころか、世界3大富豪(ビル・ゲイツ、ジェフ・ベゾス、ウォーレン・バフェット)の資産は過去3週間で2820億ドルも膨らんだという。その結果、過去30年で彼らの資産は110倍に増えたことになる。また、ゲーム関連の企業も好調に推移しているところが多い。とはいえ、富豪の間でも悲喜こもごものようだ。
たとえば、在宅勤務やテレワークが増えた結果、フェイスブックの利用者は急増し、今や世界で30億人がインスタグラムやワッツアップなど、同社のアプリを使うようになった。しかし、若手の大富豪ザッカーバーグ社長曰く「利用者は増えているが、収入は大きく減っている。経済活動が低迷し、先行き不透明感が影響し、自動車から旅行産業まで宣伝広告費を切り詰めるようになったからだ」。グーグルやツイッターも同じ事態に直面している。要は、人やモノの移動が大きく制限されるわけで、これからは単なる「グローバル化」ではなく、「ニュー・ノーマル」と呼ばれる新たなビジネスモデルが必要とされているのである。
震源地が中国
そんななか、「ポスト・コロナ時代」の金融や国際貿易のあり方を一変させるような動きが静かに始まった。ある意味では、国際関係そのものを覆す可能性を秘めている。その震源地は今回のコロナウィルスと同じで、中国にほかならない。
これまで国際貿易の決済は90%近くがアメリカのドルで行われてきた。各国の外貨保有の60%はドルである。そして世界の通貨流通量でいえば、ドルが44%で圧倒的な強さを誇っている。ドルが「国際機軸通貨」と呼ばれる所以である。ちなみに、ユーロは16%、円は11%、ポンドが6%、豪ドル、スイスフラン、カナダドルがそれぞれ3%。
人民元に至っては2%に届かない。これでは中国はおもしろくないはずだ。なぜなら、現在でも世界第2の経済大国を自負し、49年の中華人民共和国建国100周年までには「アメリカを抜いて世界第1位の座を目指す」と公言しているからである。「国力のバロメーター」でもある通貨がこれほどマイナーというのでは、「中国の夢」も覚めてしまう。
習近平国家主席とすれば、起死回生の意図を秘め、デジタルの世界で覇権を取ろうという戦略に舵を切ったと思われる。よく知られているように、中国では現金に代わってスマホを使って商品やサービスを購入することがすでに一般化している。現金志向の強い日本とは大違いである。アリペイやウィーチャットペイが広く普及しており、本土でも香港でも、タクシーやレストランの支払いはデジタルで行うことが多い。ただし、これは中国に銀行口座がなくては使えない。
中国の人口は14億人を超えているのだが、2億人以上の大人は銀行口座を持っていないといわれている。つまり日本の全人口以上の人々がアリペイもウィーチャットペイもクレジットカードの銀聯カードも、銀行口座がないために使えないわけである。
そこで、中国政府は銀行口座がなくても使える「デジタル人民元」を普及させようとの大方針を決定したわけだ。中国人民銀行はじめ4大銀行とチャイナ・モバイル、チャイナ・テレコム、銀聯カードを発行するチャイナ・ユニオンペイ、ファーウェイの8社がデジタル人民元ビジネスを始めることになった。
しかも、アリペイやウィーチャットペイが使えるところでは、デジタル人民元も必ず使えるようにしなければならないという法律まで整備したのである。本気で中国政府はデジタル人民元の普及に取り組み始めたようだ。中国では中央集権型のP2P(個人対個人)決済を想定しており、日本で普及しているSuicaと同じ原理である。もともとはソニーが開発した技術であるが、JR東日本の持つ巨大なデータベースで管理する仕組みにほかならない。中国はこの仕掛けを学び、いわば「Suicaの人民元版」を目指しているわけだ。
アメリカが安全保障の観点から最も警戒しているファーウェイもこの取り組みの中心的存在となり、存在感を高めている。ファーウェイの端末にはデジタル人民元が使えるウォレット機能が付いている。
中国に限らず、世界中で銀行口座は持っていないがスマホは持っているという人は多い。インドやブラジル、アフリカなどでは、人口の80%から90%は銀行口座がない。そんな国でも国民の大半はスマホなら持っている。そうしたスマホ人口にデジタル人民元の網をかぶせようというのが中国の「ポスト・コロナ戦略」なのである。
「ブロックチェーン大国化」
20年4月、中国政府はデジタル通貨普及に向けての計画を発表した。それによれば、この5月から国内の主要4都市において、公務員の給与の一部をデジタル人民元で支払うという。この発表を受け、中国国内の主要市場では関連する企業の株価が急騰し、2日連続で取引停止となったほどである。
その背景には習近平国家主席が自ら音頭を取る「ブロックチェーン大国化」の意図が隠されている。この4月末、習主席は「コロナ克服宣言」と、延期していた全国人民代表大会の「5月22日開催告示」と共に、ブロックチェーン関連の224事業にゴーサインを出した。フィンテック関連の事業が多いが、ウォルマート・チャイナ、アリババ、バイドゥ、チャイナ・モバイル、中国工商銀行などが受け皿となっている。もちろん、推進企業の先陣はファーウェイとテンセントである。
実は、2019年夏、アメリカのフェイスブック社が「リブラ」と銘打ったデジタル通貨の発行計画を発表した。フェイスブックといえば、世界中の30億人近くが使っているわけで、それだけ多くの人々の間でお金のやり取りを行う際に、巨大なデータベースにほかならないブロックチェーン技術を活用してデジタル化を図ろうという構想であった。
ところが、アメリカはじめ各国の中央銀行や議会からは猛反対の嵐が巻き起こった。「フェイスブックは個人情報の管理で問題を起こしている。信用できない。第一、民間の会社が通貨を発行するのはおかしい。裏付けがない通貨などもっての外。通貨を発行できるのは中央銀行だけだ」といった反対の声が大きく、「リブラ」は足踏み状態に陥ってしまった。
しかし、リブラ騒動の直後、独自のデジタル通貨発行に名乗りを上げた国が現れた。その先陣を切ったのがイランであった。アメリカによる経済制裁を受け、ドルの使えないイランにとっては新たな希望のタネというわけだろう。イランに次いで動いたのが中国と北朝鮮であった。この動きにさまざまな思惑が隠されていることは明らかだ。一言でいえば、「今の世界には多くの対立が起きている。アメリカの都合で一方的に引き起こされた対立もある。それにもかかわらず、世界貿易の決済はすべてドルというのはおかしい」ということだろう。
言うまでもなく、中国が貿易の最大の相手国であるという国は、アメリカが最大の貿易相手国という国の数よりはるかに多くなっている。中国は世界の大半の国と膨大な量の貿易を行っているが、その決済は基本的にドルである。
このようなドル基軸体制の下では、世界中の銀行間の決済業務はSWIFTやコレスポンデント・バンク(コルレス銀行)を通じて行われることになっている。ということは、アメリカの一存でイランでも北朝鮮でも簡単に干上がらせることが可能になる。なぜなら、狙った相手国の政府や企業のドル口座を停止させ、その国に対するドル決済ができないようにSWIFTやコルレス銀行を動かすことが簡単にできるからである。
言い換えれば、アメリカにとってはドルという存在は単なる通貨以上の意味を持っているわけだ。強力な安全保障上の武器にも早変わりするのである。逆の立場からいえば、イラン、中国、北朝鮮にすれば、ドルによって自分たちの首根っこを押さえつけられているとの思いが根深いと思われる。
世界各国の中央銀行でも独自のデジタル通貨発行の動き
こうしたアメリカ主導のドル基軸体制に対抗する動きがじわじわと広がり始めてきたのである。特に中国はアメリカとの貿易通商摩擦を背景に独自のデジタル通貨発行に意欲を燃やしている。中国以外にもデジタル人民元を普及させようとの動きが出てきた。中国が進める「一帯一路」計画のなかでも、中国の出資するアジアインフラ投資銀行(AIIB)が実施する途上国向け融資をデジタル人民元で行うという選択肢も浮上している。
いずれにせよ、こうした「リブラ」や「デジタル人民元」の動きに対し、世界各国の中央銀行でも独自のデジタル通貨発行に向けての研究や具体化が加速するようになってきた。日銀も例外ではなく、欧州中央銀行(ECB)、カナダ、イギリス、スウェーデン、スイス、国際決済銀行(BIS)との共同でデジタル通貨に関する研究プロジェクトを立ち上げることを発表。アメリカでも中央銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)が19年にはデジタル通貨のエンジニアを募集するなど、デジタル通貨に向けた研究を始めたようだ。
実は、後進国の問題はインフレであり、紙幣を印刷してもたちまちインフレで使い物にならなくなってしまう。パン1個を買うのにもトランク一杯分の紙幣を担いでこなくてはならないといった風景があちこちで見られる。そんな事情もあって、紙幣をやめてデジタル通貨への移行を目指している途上国は多いのである。
しかも、昨今のCOVID-19による感染症の蔓延から、紙幣や硬貨がウィルスの伝染につながるとの指摘もあり、一気にデジタル通貨への関心が高まってきた。中国政府はそうした流れも意識しているようで、デジタル人民元の世界的な普及を通じて感染症の予防にも役立つとのキャンペーンを展開しつつある。
パンデミックが収まらない状況下において、中国が「マスク外交」や「デジタル人民元」作戦を通じて国際的な影響力を拡大しつつあることへの懸念は大きくなる一方である。ムニューシン財務長官曰く「現状はアメリカの国家の存亡にかかわる危機的状態だ。このような状況下において中国がデジタル通貨で世界を席巻しようとしている動きを看過することはできない」。
今から6年前の14年、中国商務省は「デジタル通貨の研究と実践を通じて、人民元はドルにとって代わる通貨を目指す。その目標は15年以内に達成する」との方針を明らかにしていた。アメリカの財務長官の危機感はよくわかるが、トランプ大統領からは中国のデジタル通貨戦略に対抗できるような動きはいまだ打ち出されていない。いつまでもドルが国際機軸通貨の座に安住できるとの保証はないだろうに。
中国はアメリカが享受してきた「デット・エクイティ・スワップ」を自分たちもデジタル通貨の発行を通じて得ようと考えているのかもしれない。なぜなら、デジタル人民元を中国人が使っている間は人民銀行にとっては借金であるが、アフリカなど多くの途上国で使われるようになり、エクイティ化してしまえば、中国に戻ってこなくなるわけで、そうなれば中国の財政にとってはプラス以外の何物でもなくなる。
こうした中国のデジタル通貨戦略に対して、アメリカは警戒を強めているが、日本は能天気というか、まったく無関心に近い状態である。新型コロナウィルス騒動の背後で在宅勤務が広がり、テレワークやデリバリーが普及すれば、現金決済からデジタル通貨への移行は急ピッチで進む可能性が出てくる。その時の主役を演じるのは誰か。日本でも使えるようになる「デジタル人民元」か、それとも登場が待たれる「デジタル円」なのか。新たな通貨戦争の幕開けは近い。
(文=浜田和幸/国際政治経済学者)